「はじめての海」
お昼寝からさめたとき、母が「海へ行って見ようか」と言った。
お散歩でいつもは折り返す国道の向こう側に初めて渡ると、
そこには白く眩しいお砂場が左右にどこまでも続いていた。
きっと潮の匂いもしていたに違いないが、「ほら見てごらん」と母が言った瞬間も
わたしにはざわざわと濁った水音だけがあった。
しかし見えなかった青は、数秒遅れでわたしの視界を覆うや、
その乱暴で無節操な挙動でわたしを恐怖に陥れた。
母が着せたタオル地のワンピースは胸に赤いアプリケがあるお気に入りだったが
手を引かれ水打ち際までこわごわ行くと波がやにわに襲いかかって、
パンツは金魚の入ったビニール袋みたいに水を溜め込み、
ワンピースのタオル地は濡れ雑巾の重さになってわたしを沈めようとした。
思わず母の手を掴みなおす。
日傘なんかほうって両手で私を掴んでくれたらいいのに・・・
そう思って母を見上げると母は日傘の陰でほのかに笑っている。
私はほんとうに怖かった。
海よりも、たぶん、母が。