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「LO」9月号の表紙が、怖い。 - たまごまごごはんのことを語る

>「開きなおりの論調」と、「そうでない読みがあるし、違ったものとして受け止められているよ」の間にはどのような違いがあるとお考えですか?
 
ちょっとズレがあるように思います。私の言う「開き直り」というのは他者の読みを尊重しない態度のことなんです。
 
「表現は読み解かれなければならない」とは、ある一つの正しい読み解きがある(だから勝手に暴力性を読み込む方が
おかしい)という意味ではなく、「表現にはあらゆる読み解きが可能だという前提に立ちましょう」ということだと思うんですね。
その意味で誤読は存在しないのです。ただし、その表現が置かれた時代、社会環境、商品ならば流通の仕方など、
複雑な要素から概ね読み取られるものの中味は限定されます、現実には。

 
つまり二次ロリオタクが読めば暴力的でないものを、女性一般が読めば暴力的に感じることが多々あるという現実はある。
それをお互い理解し、許容しあうほうがいい――と私は思いますので、その意味でlieutarさんの「対話をするべき」という
意見には同意です。そしてその「対話」は相互理解に向かわないなら意味がありません。それにはそれなりの語り方が必要でしょう。
 
今この問題は既に「表現の自由」という理想論でこの問題を処理できる段階は過ぎて、現実的な政治の問題になっています。
私自身は純粋に思想的に考えるなら「表現の自由」は何より最優先するべきと考え、法規制には断固反対なんです。
しかし現実を見るなら、ただ「自由だ!」と叫ぶのは方法としてまったく上手くないだろうと思う――ということです。
 
これらのことに、「そんなこと知らんがな」と言う人についてはどうぞご自由にとしか言いようがありません。