id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

>ある種の結論めいたもの(規制反対とか賛成)に、付随して提出されている見解に関する違和感
 
了解です。
 
 
>例えば、「ヒモ付けるか否か」の問題なんですが、僕の理解では、地下猫さんは「ヒモ付け」てはいないように思います。むしろ地下猫さんが焦点にしているのは、「レイプレイゲーム」などがどのように扱われているかで、「脅威を感じる」人がいること、です。その人の主観に、焦点をあてている。
 
>ただし、そのような「脅威」という感覚“のみ”に焦点をあてているのではありません。むしろ、その主観を補強するような、ある程度の社会的な実態があると“みなせる”ことを言っている。というか、“みなせるでしょ”と言っている。
 
 
ここは私はちょっと違う印象なのですが、でもこの通りだったとしてもそのことに対しては私は反論ありませんし、sk-44さんも認めておられると思います。
「みなせるでしょ」→「だからその社会的実態の責を法的に問うべき」についてだけ一貫して「べきでない」と言っています。
 

>これに対しSK-44さんの「ヒモ付けはできない」は、単に、因果関係がないことを言っているに過ぎません。これでは「脅威」という感覚は、見捨てられたも同然です。それが事実として間違いだと言っているのではないのです。ただし、「ヒモ付けはできない」ことを執拗に述べることは、論点をずらしているように僕には見えるということです。
 
「間違いではない事実」であるならそれを繰り返し述べることはある人にとっては必要なことです。論点は「ずらす」のではなく、やむなく「ずれる」のです。