id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

>つまり、社会学的な関心や哲学的な“関心”があることは感じるけれど、そこまで徹底しては(つまり社会学的に徹底しては)
 考えていない感じがする。「自分の美学が明確にあって」というのは、なんとなく分かる気がして、つまり、社会学的な関心を 社会学的に処理する前に、「文学的に」処理しちゃっている感じがするんですよね。
 
 
これ、まんまエルサレム賞スピーチ批判だよね。
 
 
>僕は読んでもあまりストイックという感じはしなかったんです。小説においては、小説全体が先にあるのか、
登場人物が先にあるのか、……みたいな二項対立図式がどこまで有効なのかはわからないのだけど、
 『アフターダーク』に関して言えば、人物が人物そのものの原理で動いているような感じはしなかった。
 極端に言えば、全体の構想がすべてで、人物や状況設定は、それを動かすための部分として(のみ)あるように感じたんです。
 僕が「夾雑物がない」に「分かるかも」と書いたのは、この意味で、ですね。
 それはストイックというより、単に、完全に手に負える範囲に細部を(都合よく)制限するという姿勢に見えちゃって。
 
 
「ストイック」ととるか「逃げ」ととるか読み手次第ですが、そういう操作がされているだろうということでは一致ですね^^
で、犬さんが「小説においては、小説全体が先にあるのか、登場人物が先にあるのか、……みたいな二項対立図式が
どこまで有効なのかはわからないのだけど」という前振りをしてるのは、マンガやゲームといったサブカルを対比させてる?
今、85年の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだんだけど、こっちは完全にその世界です。
なにしろ主人公の脳内RPGを小説化したという設定の作品なんです (それこそ一歩も出ない!)
 
これ読んで、「こりゃサブカルってみんな言うの当たり前だな」と超ナットクしました^^
しかし85年にこれを出版していたというのは凄いな~と、あらためて。
「香りの無い、血肉の無い文章だ」みたいな批判ばかり浮かんで誉め言葉をみつけにくいんだけど、
今の出版状況から見るとゲーム的リアリズムという先見性だけは認めざるを得ないよなーと思います。
 
95年を境に「デタッチメントからアタッチメントへ」って言われているけど、少しずつ近づこうとしているのでしょうか。
私もアフターダークでも予定調和的な後味があって物足りなかったのですが^^; 新作が楽しみです。