現状の分析として
・私的領分での尊厳破壊ごっこが現実のレイプ暴力とはっきり違うものとして正しく認識され夢想されているならまだしも、
現実のレイプの暴力性が理解されないまま、「フィクションでレイプを疑似体験するのは実際に犯罪を犯しているのと違う」と
本質とずれた言い訳ばかりがなされる「暖簾に腕押し」的な状況であるので、女性は抗議せざるをえない。
概ねそのととおり思います。あと、「私的領分こそが問題とされている」というのもわかるんです。
(佐藤亜紀さんのsk-44さんへの応答はまったくそういうものですよね。私的領分であろうと商品流通としてあるなら
社会的な容認がされていることになりますから。社会の成員の半分を担う女性が精神的暴力を我慢するのはおかしい、
総合的により生きやすい社会に法規制で近づけることもやむなし、と。)
ただ、そういう見方になるのは「正しい一つのなされるべき理解」があるという前提ですね。
>「本質とずれた言い訳」
これが規制推進派の女性にとってそう見えるのはわかる。でも本質とは誰が作るのでしょう。
実際にそういうゲームを利用している彼らだけがレイプレイゲームの本質を知っていて、
実際にレイプに遭った人だけがレイプ被害の本質を知っていて、その他大勢のどっちも知らない人が居て、
これらの群の間に「レイプ」という表象が吊り下げられたときに皆が同じものを見ることが
果たして可能なんだろうか。(表象の読み解き問題)
勿論、法規制を持ち込み「これはのひとつ罪悪である」と宣言すれば可能です。
小学一年生が教科書で「いぬ」「しろ」「こい」と教えられるのと同じに否応なしに復唱ですw
表現とは、その読解が多様だからこそまさにここにあるような「行き違い」も起こるのですよね。
その多様さは暴力的エロだからと私たちは簡単に手放していいんでしょうか。私はどうもひっかかる。
ここでそういうやり方によらない方法をまずは考え、実践していくのが順序ではないかと私は思うんだけど。
法規制推進派の人は地下猫さんの言うところの「バカにナイフ持たせる危険」を小さく見積もりすぎてるのではないかと
思えてしかたないのですよ。
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