id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

アイデンティティポリティクス~実存~政治手法 といった面ではこれも同様の側面があるので一旦離れて別の話題を。 
 
犬さん、レイプレイ問題~表現規制問題について今話題になっているのをご存知ですか?
私が以前ロリという視線の暴力性についてブログエントリーをあげたことがあったでしょう?
私にとってはこれはあそこから地続きな話なんで、ちょうど大野さんから関連記事があがったんで
トラックバックする形で現在の私の見方を書いてみました。
 
http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20090613/1244878998
 
あと、表現規制問題についてはハイクでもキーワードが出来ています。(http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E8%A6%8F%E5%88%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C
 
 
ダイアリーのほうでは既にかなり議論がされているんですが、また村上春樹受賞のとき同様に
現実の生政治とフィクションの関係、あらゆるフィクションの存在意義をどう見積もるか
というところで、対立点が出来ています。
 
 
以下、表現規制問題の論点の私的なメモ。

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    陵辱表現が反社会的なこと(=倫理的には有罪)は、双方了解しているので論点ではなく、
    反社会的な作品が流通することでの社会の損失(A)とそれに法規制をかけることでの社会の損失(B)どちらがより大きいかが論点だろう。
    (だから社会にとってその存在がどうだ、ということを言い合う必要は全くない。)
     
     
    (A)
     
     ・男女問わずそれを好まない人たちが作品から精神的暴力を受ける点
     ・それを社会が許容することで、「社会的に問題とされていない」という誤ったメッセージを
      社会全体に送ってしまう点
     
      (「作品が犯罪を誘発する」は現時点明確な関連付けが出来ていないので理由にならない。)
     
    (B)
     
     ・有罪性の判定に恣意性が含まれる可能性が多分にあり、国家権力強化が懸念される点
     ・単純所持逮捕といった私的領分への国家介入に及ぶと容易に別件逮捕の理由に利用するといった
      国家権力強化に道を開く点
     
     
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    今のところ私が最も共感するエントリーは↓これですが、
    http://d.hatena.ne.jp/barcarola/20090613/1244917026
    対立するモジモジさんの意見も部分ではよくわかります。
    それからモジモジさんの最新エントリーの中にある、国家権力の「介入」にだけ目が行きがちだが
    「不介入」によって暴力を放置することもまた同等の国家のしわざだろうという視点は無視できないなぁ、と思いました。
    とはいえ私は介入にはどこまでも反対すると思いますけどね^^