id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

返信、濃密な示唆に富む内容でした、私にとっては。ありがとう。
 
まず「動的静的~時間芸術」の話から。
 
人は言葉によって世界を構築する生き物だから、時間性から逃れられず常にリライトの可能性に向け開かれている。
こういう事は最近私自身よく考えていたことでもあります。
(特に詩を書くという作業を問い直すとそういった言葉の特性をどうしても考えざるをえませんね。)
ウェブ上で物を書くようになってウェブの特性を強く意識したり、詩を書くことで言葉の不可能性を
意識したり、そうしたことが「常に開かれている」自己イメージに繋がって、今は物事を語るときの
スタンスにも強く反映している感じです。
 
・あまり言葉を限定的に、厳密に使わなければと思い過ぎない。
・いつでも撤回可能だしむしろ変わって行くのを楽しめばいい。
・言葉は記号でしかなく、書いた瞬間からそれは誰かのものだ。
 
特に何か批判的なことを書く場合以外は普段こういうスタンスで書いています。詩でさえも。
確かに言葉はすべて詩であり断言である。だからなおさら断念して放てばいいと思うのです。
 
(余談だけど、、、別所でしていた話の中で「大局がない」という批判をされてんの見て凄くビックリしたw
演説会聞きに来てるお客さんみたいな、「与えられる」立場に自分を置いてしまう人もあるんだなって。
ウェブって膨大なテキストが時々刻々積まれていく中から自分が主体的に欲しいものだけを
部分的に剥ぎ取って都合のいいようにパッチワークして何かを組み立てるイメージなので、
私の場合初めからテキストを読むとき自分にとっての「素材」としての意味を見出そうとします。)
 
(続きます