ネタ、釣り、といったウェブで私たちが日常的に目にしている言葉と付随する行為について少し。
これらは「放棄」なんだろうな、と思う。「していいの?という問いを忘却させる」仕組みとして既に流通している。
で、似ているなと連鎖的に思ってしまったのがここ二日やってる「異性愛」関連のマイノリティからの問いかけと
村上春樹のスピーチの「クレタ人の嘘」レトリックなんだけど。
それぞれ全部違うけど自分の責任について「放棄」しつつ話す、という意味で共通していると思う。
かといってそうせざるをえない窮地にある人が他にどうすればいいのか、難しいですね。
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