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>生産技術・闘争技術~闘争技術の弊害を問題視

リンクありがとう。なるほど市場経済の行き詰まりで「原点に還ろう」という議論も出てきているのですね。
ちょっと最近会ったご夫婦のこと思い出しました。奥さんはアジア系の国費留学生で経済学をやってらしたんだけど、
ここ数年の経済学に夢が持てなくなって研究を中断してしまったとおっしゃってた。結局は役立たずな理論でしかない、と。
経済というのも所詮人間活動の結果で、予測可能範囲はとても狭いんだと痛感されたそうです。
 
検索してみたらアダム・スミスの「道徳感情論」関連の読みやすそうな本があったので予約してみました。
(人気なようで10人待ちだったけどw)  ↓「道徳感情論」の冒頭部分だけメモっときます。。

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第一篇 同感(シンパシー)について
 
人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、あきらかにかれの本性のなかには、いくつかの原理があって、それらは、かれに他の人びとの運不運に関心をもたせ、かれらの幸福を、それを見るという快楽のほかにはなにも、かれはそこからひきださないのに、かれにとって必要なものとするのである。この種類に属するのは、哀れみ(ピティー)または同情(コンパッション)であって、それはわれわれが他の人びとの悲惨を見たり、たいへんいきいきと心にえがかせられたりするときに、それにたいして感じる情動(エモーション)である。われわれがしばしば、他の人びとの悲しみから、悲しみをひきだすということは、それを証明するのになにも例をあげる必要がないほど、明白である。すなわち、この感情は、人間本性の他のすべての本源的情念と同様に、けっして有徳で人道的な人にかぎられているのではなく、ただそういう人びとは、おそらく、もっともするどい感受性をもって、それを感じるのであろう。最大の悪人、社会の諸法のもっとも無情な侵犯者でさえも、まったくそれをもたないことはない。
 
――『道徳感情論』(上)の冒頭部分より