id:usaurara
id:itumadetabeteruのことを語る

↓エントリーの感想、遅くなったけど書きます^^  (犬さんの書くものはいつも私にとっては面白い~♪)
http://d.hatena.ne.jp/itumadetabeteru/20090318
 
今回のエントリーは心底同意なことばかりなんですが(特に正論原理主義批判にのっかるブクマへの不快など)
終盤の「正しさは一つか」というところはちょっと分かりにくかったなー。
 
>>
よく「正しさは一つではない」みたいなことが言われるのですが、僕はこれにはまったく同意できません。
「正しさ」という言葉を用いた時点で(というよりそういう概念で物事を捉えた時点で)、
物事は「正しいこと」と「間違ったこと」に分けられてしまうわけで、「正しい」ことと違うことは
「間違った」ことである以外にありえません(これは「正しい」という言葉(概念)の性質の問題でしょう)。
「正しさ」は一つです。ただし、私たちに「正しさ」が見極められるかと言ったら、これはなかなか難しい問題があると思います。
また、われわれが正しくないことを正しいと思い込んでしまうこともよくあることだと思います。
また、原理主義というのは、なんらかの教義や原則に忠実に行為することを言うのであって、
その教義や原則が正しいかどうかとは関係がない話だと思います(本人たちは正しいと思い込んでいたとしても
それは思い込みであって、その教義が正しいわけではありません。また、それが思い込みかどうかを誰かが
見極められるのかどうかということも、また別の問題でしょう)。
ちなみに「正しさ」とは各種前提ごとに決まるものだと思います。
つまり、二人以上の人の間で「正しさ」が決まる(同意されるかはともかく)のは、前提が共有されたときだけということです。
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1、「正しさ」という概念を用いるなら「正しいor間違っている」の二分法によらざるを得ない。
 
2、「正論原理主義」の「正論」と「原理主義」にはそこに結びつくべき必然性は無い。
 
3、「正しさ」はそれを求める人々の間で、前提が共有されたときにだけ見つけることが出来る。
 
ここを超要約するとこれでいいのかな?
だとして、2と3は同意です。でも1が「そうすっきり言い切れるだろうか」と。
 
えーと、単に「僕はそういうの好きじゃない」と言ってるんじゃないんですよね?そして勿論国語的な話でもないのですよね?
で、「正しさはひとつではない」を言う人々にどんな場合も同意できない?
前提を共有しようという作業に非協力的である人々がそれをやる前から、簡単に問題を棚上げするために言う
「正しさはひとつではない」というのが同意できないだけなのでしょうか。
つまり、その前提を共有しようと作業をした後にそれでも「正しさはひとつではない」という結論で結んではいけない?
あくまでも「正しさを見出しえなかった」と言うべきだということ?そういう徒労感やもどかしさを引き受けないといけないと?