まだ続きます^^
スピーチについて二つのことを思いました。
・比喩的であること。比喩は言葉に翼を与えると同時に簡単に撃ち落とされもする。
解釈する人間におおきく依存させる行為である。
・「卵と壁」という比喩のもつ色彩。どちらかというと陳腐でさえある喩えであり、
どんな文明に属する人が聞いても明らかに伝わる圧倒的対照性。そこにある悲しみ。
自然と湧いてしまうエモーショナルなもの。
この二点は表現者である本人には完全にわかりきったことであり、「敢えて」この表現がされたはずです。
言葉の持つ命、或いは力というものは二つの方向で見ることができますね。
一つは時間的に定点をとって世界のどれだけの人々に影響を与えるのか。
もう一つは時間の流れを見たとき、どれだけの世代に受け継がれていくか。
この作家は「勝ち目はなさそうです」と言い、「今ここ」での負けを自ら宣言しています。
だから彼は「今ここ」でない未来に言葉の種を撒くのだ、それしかできないと告白したのだろうと思います。
作家である彼としては一時的な暴力への断罪よりも人間の想像力・共感能力を信じて賭けることが、
より「なすべきこと」だったのだと思います。その宣言は今後作家であり続けるなら充分に重い十字架であると思います。
加えてイスラエルという暗殺国家を敵にまわし、アメリカに暮らす人のこれからを考えると、
どれだけのリスクを感じておられるだろうかとファンではないですがとんだ栄誉を与えられた不幸を気の毒に思います。
でも私のように初期の作品の印象だけで敬遠していた読者の理解が、この機会に大きく変わったのじゃないかと、
そういう人は結構多いんじゃないかとも思います。悪いことばかりではないですよね^^
id:itumadetabeteruのことを語る