>人は幻想から逃れられない」というのは、例えば「人は物語から逃れられない」という風に言い換えも可能
そうですね。「自分の美学にしたがって生きるという物語」がないと、生き辛いんじゃないかっていうことです。
>何かを志そうが志すまいが、人は自分の力の及ばないところで、勝手にエネルギーを充電されてしまう。
もちろんこれはうまくいけばの話です。だけれども、基本的に自分が生きるための薬を自分自身で「完全に」処方することは不可能。自分以外に誰が処方するのかと言えば、それは他人であったり偶然であったり、自分の気まぐれだったりする。
清水健朗著「ケータイ小説的」という本、大澤さんの「アキハバラ発」を続けざまに読んでそのへんのことはとても気になりますね。どちらにも斉藤環さんは寄稿してらっしゃって、「今やリアルはネットでの再帰的コミュニケーションでしか感じられない」「その世界はコミュニカティブだから非コミュは承認弱者」「否定的自己愛と匿名性がその鍵」というようなことをおっしゃってました。
「何かを志そうが志すまいが~~である」というのはそうですが、少なくとも志す強さ(己に対する赦し、満足)があれば状況がどうあっても耐えていきやすいということだと思います。それが上手く形成されない問題があるんじゃないか、と思う。
しかし大きく見て日本、世界、どっちもどん詰まり感満載でこういう時代にはいろんな意味で自立するのが困難なのは確かです。
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