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絵のある喫茶店(雑談場)のことを語る

 

---- 雪 2 ----
 
「ふるさとは遠きにありておもふもの」と父は自嘲し、母は黙ってそれを聞き流していた。
そんな母があるときふとした雪の話が、進むにつれて単に「雪」のことではないのだと
中学生にもわかるほどに重々しかったことを私はよく憶えている。
「雪」は母の過去をすっぽりと包み込んで母の中にあるのだろう。
 
 
幼児を含む家族にとって特急4時間半の旅は一大行事だった。
揺れと匂いのきついディーゼル車内は乗車時は満員で、時には新聞紙を敷き通路に座らされた。
それでも、普段旅行などほとんど出来ない貧乏家族の私たちは全員ワクワクしていて、
蓋つき塩ビボトル入りの緑茶に冷凍みかん、雑誌などを買い込む。
父は母に顔をしかめられながら、更にビールとゆで卵を買った。
 
姫路で車内が空いてやっと車窓を見る。午後の陽に照る渓谷美を楽しみ、それに飽きたら雑誌。
雑誌もみかんも乗り物酔いに悪いとわかっていても、このときしか買ってもらえないからしょうがない。
そして案の定、福知山あたりで顔面蒼白になるのだった。幸いそこで車内が空き、二人分のシートに横になる。
ディーゼルの轟音を下に聞きながら一眠りし終えた頃、車内に「アルプスの牧場」のチャイムがひびき
列車は速度を落としてくる。私はようやく天井のライトに気付いて起き上がり窓に乗り出す。外はもう闇だ。
でも、暗黒と思われた外は駅に近づくに連れてまばらな白熱灯のもとで光を取り戻し始め、それに眼が慣れてくると
空の群青と山々の漆黒と足元にうねうねと覆いかぶさる青白い発光体とが織り成すネガフィルムの世界が出現する。
そこが日本有数の豪雪地帯だということも、この路線がかつて鉱物資源輸送のルートだったことも知らず、
その頃の私はただひたすら世界がポジからネガへ転じるさまの、ダイナミックで美しいことに感嘆した。
 

(by id:NR_result_true)
 
母が「山のこちらが山陽、山の向こうが山陰。影なのよ」と言ったことの意味が多面的に理解できたのは
随分と後のことだ。母は影を捨てたのだ。
特急「はまかぜ」が通る未だ電化の叶わぬルートは、さまざまな社会の側面を垣間見た後の私が
自分と「日本の近代化」という大きな出来事を考える貴重な一本の道筋となっている。
 
https://sites.google.com/site/usaginomurmure/murmure/100115_013.mp3
(所要時間 3分31秒)