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絵のある喫茶店(雑談場)のことを語る

  • --------------- イマココ ------------------
  • コミックを描くようになって骨格や筋肉のありようを以前より強く意識するようになった。
    性別や年齢差あるいは生活習慣や気質がその人の肉体を形作り、それがどのように使われてそこに存在しているかを。

    上の絵は「はてなハイクステッカー計画」というものに参加して「夢のように、おりてくるもの」の店長とその娘を描いたものだ。学校帰りの娘の後ろ姿と、ステップの上で作業中の店長が娘の声に振り返るシーンを想定している。
    コラボではキャラクター造形にほとんど口を出さないでもらえたので、とにかく原作を読み込んで推定し、それでも見えてこない部分だけをのちの展開にプラスになるように考えを足していった。
    店長はもともとがっしり体型で設定したが、甘いものも酒も好きで独り暮らしのコンビニ店長だなんてそろそろメタボが気になっているだろう、腰痛なんかあるんじゃないの?バイトをこき使う理由にもなるよね ――― と言った感じでだんだんとずんぐりしてしまったw

    これはステッカーとしては地味だし、エロでもギャグでも版権キャラでもないから誰得モノだけど、不安定な足場で腰をかばいながら仕事をする中年男のせつなさが出せたから絵としてはお気に入りだ。

    絵を描くことは子育ての数年を除けばずっとしていたが、コミックをまた描き始めるとは思っていなかった。それが、はてなハイクでデジタルの描画ツールに手を出し、そこでの交流でついついコマ漫画を描き、つい乗せられて同人に寄稿し・・・・・・といった調子でどんどん深みにはまってしまって「イマココ」である。
    十年前の自分にはデジタルツールで50pのコミックを描くとか、同人誌を作るとか、自分のイラストがステッカーになるとか、どれもこれも「夢のような」ことだったのに。

    それらを叶えてくれたのは努力や才能ではなく「場」である。(多少はそういうものも必要だが)
    だから私にとって「場」は何より大事なものだ。
    「場」をよりよく維持するために何をすべきで何をすべきでないか見据えながら、その一方でひたすらマイペースの創作活動をするのがここ数年の自分のスタンスだ。

    人がそれぞれに固有の骨格と筋肉のありようを持ち地面に立つとき、その立ち姿がしっかり固有のものとなるように、「場」に立つときのありようというものもおのずと固有性を持つのではないか。
    そんなことをここ数日の自分を振り返って考えたりする。

    (これはクランチマガジンとの同時投稿です)