このような「方程式」の存在は、卒業式の歌を集めたCDの帯や楽譜集の表紙からも読み取れる。
「涙で声を詰まらせた感動の名曲」「学校生活最後の日、みんなで心ひとつに通わせてうたう」「全国の卒業生が涙した」などのフレーズは、卒業式の歌に求められるものが何であるかを物語っている。
また、『涙を超えた感無量の卒業式をつくる』『生徒の涙が輝く卒業式を演出する』といった教育実践書のタイトルからも、それが意匠に満ちた演出によって構成され、感情に働きかけようと企図する営みであることがわかる。
その結果として、みんなで感動しともに涙する「感情の共同体」になれたとき、「最高の卒業式」が達成される。
しかし、意外に思えるかもしれないが、こうした卒業式のあり方や歌は、ほとんど日本に特有の学校文化である。
義務教育段階の卒業にあたって特別なセレモニーなど存在しない国も多く、卒業式と感動や涙との結びつきは普遍的な現象ではない。
ここから帰結されるのは、卒業式において感じられる感動と流される涙が純粋に個人のものではなく、一方で世界共通でもないことである。
つまり、この感情と感情表出は、特定の範囲/広がりを持つ社会と文化において規則性を有する「方程式」なのである。
本書は、感情とその表出形態の一つである、涙の持つ社会性・文化性への着目をその出発点としている。
(講談社選書メチエ 『卒業式の歴史学』 有本真紀 11-12頁)