利用駅が始発の電車に乗った。しばらくすると、車内放送が始まった。
「この列車の運転士はカトウ」
ああ、俺と同姓だ。まあ、ありふれた苗字ではある。座席の半分が埋まっているが、もしかしたら俺のほかにも同じように思っている乗客がいるかもしれない。車内放送は続いた。
「車掌は、カトウ」
うわ、こっちも同姓だ。これはちょっと珍しい。しかし、『車掌"も"カトウ』と言えばいいのに。表記が違うのだろうか。あるいは同一人物が運転士と車掌を兼ねていると誤解されないようにという配慮か。待てよ、俺もカトウだから、最初から「運転士もカトウ、車掌もカトウ」と言ってほしいような気がしてきた。そんな思考が渦を巻く。
落ち着いて考えようと周囲を見渡すと、他の乗客は、3/4がこの放送を聞いていなかったらしく、無反応だった。残りの半分は笑いをこらえ、あとは笑っていた。まじめに考えているのは俺だけか。
カトウ3人の連帯感と、「も」でつながることのできないもどかしさ、あるいは周囲の乗客からの孤立感を同時に感じた。
超短編のことを語る