1985年高校野球夏の甲子園大会決勝戦にて、桑田・清原を擁する大阪代表PL学園と対戦した、わが故郷山口県代表の宇部商業。結果は、9回ウラにタイムリーヒットを打たれ、3ー4のサヨナラ負けであった。県民である以上に宇部市民である我々は、これを大接戦の末の惜敗ととらえ、末代まで語り継ぐ気満々であった。
さて、この試合において、宇部商業の攻撃で、1アウト3塁だかなんだかの場面があったのだが、そこで宇部商業の玉国監督(余談:我が父とは幼馴染みだったらしい)はスクイズのサインを出さず、ヒッティングの勝負に出た。結果、これは失敗に終わり、ランナーが残塁した。私の周辺のおっさんどもは、「あそこでスクイズすれば勝てたはず」と囃し立てていた。
スクイズは成功するとは限らないし、成功して1点取ったとしても、9回ウラのタイムリーヒットで同点という計算であるから(さらには、9回ウラは、サヨナラでなければ、ランナーがもう一人還るという局面だったはず)、なぜそれが「勝ち」になるのかわからずじまいだった。
これが私の後出しジャンケン原体験である。四半世紀が経過しても、手を変え品を変え、後出しジャンケンはあとを断たない。
ちなみに自分は件の決勝戦について「宇部商業はエースピッチャーの田上が投げていたら勝っていた(実際には準決勝までに腰を痛めたかなにかで、投手としては出場せず、ライトを守ったんだったかな)」説を今でも主張している。
後出しジャンケンのことを語る