接見中に逃走してお茶の間を騒がせた彼のお膝元で、白昼夢のようなできごとがありました。
16時30分頃。冬至から3週間ほど経過して、少しずつ日が長くなってきており、当地では、まだ夕陽が残る時刻です。雲ひとつない澄み切った夕空は、日中の青から黄色へと変わってきています。
登戸駅のドトールが満席だったため、座って話せる場所を求めて、宿河原駅方面に歩いてきたふいっちさんと私は、片側一車線の道路との交差点で、横断歩道の信号が青になるのを待つことになりました。片側一車線とはいっても、それぞれの車線は狭く、大型車同士がすれ違うときはかなり気を使うような道幅です。車通りは断続的ですが、日中は完全に途絶えてしまうことはありません。私たちのほかに、信号を待つ人は5,6人ほどいたでしょうか。
道路の向こう側から、聞いたことがあるJ-POP音楽が聞こえてきました(後に調べたところ、それはファンキーモンキーベイビーズの「あとひとつ」という曲だと判明しました)。自転車店や洋菓子店がある区画なので、商店街が集客のために音楽を流しているのかと思いましたが、これまでそこを通ったときは、そんな演出はなかったような気がしますし、音が妙にでかい。さらには、商店街のBGMなら頭上に設置されたスピーカーから聞こえてきそうなものですが、音の出どころが低い位置にあるようです。目線より低い感じ。通り過ぎる車が大音量で音楽を流しているにしては、明瞭すぎるし、同じ場所から聞こえてくる。
ふいっちさんと目配せをして、「あれは何だ」と感じていることを共有しました。そうこうしているうちに、道路の向こう側にいた中学生くらいの少年が、乗っていたママチャリを漕いで、こちら側に渡ってきました。横断歩道の信号はまだ赤です。車の流れの一瞬の切れ目を縫った信号無視、道路横断です。
少年は、おしゃれを意識し始めた年頃なのでしょうか、ちょっとかっこいい感じの柄もののスウェット上下を着ていて、スポーツ刈りが少し伸びてきたような髪型です。無精髭伸ばしっぱなしの私と比べるべくもなく、若く清潔な雰囲気で、やや異国的な風貌でした。自転車の前カゴには黒いかばんが入っていていました。
少年がこちらに近づいてくるにつれ、J-POPの音源も近くなってきました。我々の横を通り過ぎたあと、自転車はその場で旋回します。音源もそこで回る。ああそうか、あの黒いかばんの中にポータブルスピーカーか何かが入っているのか。ここでまたふいっちさんと目配せし、認識を共有しました。
横断歩道の信号は赤のまま。車通りはふたたび切れ目なくなっています。そのとき、こちらに渡ってきた少年が、もといた方に向かって、剣呑な調子で叫びました。「なんで来ねえんだよ!」道路の反対側に、自転車に乗った同じくらいの年格好の少年がいます。彼に呼びかけたようです。向こう側の少年は信号無視を良しとしなかったのでしょうか、抗議の声を上げたりすることなく、沈黙したままです。仲間割れの瞬間です。
信号待ちの人たちは、我々のみならず、おやおやだいじょうぶかなと心配している様子です。こちらに渡ってきた少年は、しかし、先へ進むことなく、私たちがいる付近にとどまり、自転車の旋回を続けます。彼の自転車から流れるJ-POPは引き続き大音量でうるせえんだが、このあとどうなるのか興味深々です。
その後、30秒ほど経過したでしょうか、横断歩道の信号が青に変わりました。ふいっちさんと私は、横断歩道を渡り始めました。信号無視をせずに残っていた少年が、自転車を漕いで向かってくるのとすれ違います。ああ、少年たちの関係はその後どうなってしまうのでしょうか。
そのとき、私たちの背後で、相変わらず大音量で流れるJ-POPがサビにさしかかりました。
♪今日も信じてるから 君もあきらめないでいて
♪何度でも この両手を
ああ、ここはわかる。たしか、このあとに続くのは、そう
「「あのそーらへー」」
!! スピーカーから流れてくる音源に、少年二人の大きな声が重なって聞こえてきたのです!
ふいっちさんと私はみたび目配せを交わしました。道行く人たちのざわつきも感じられました。
私たちは、「友情→裏切り?→しかし強い絆があった!」というドラマを目の当たりにしたのです。恐るべきは、サビが流れる絶妙のタイミング。
ふいっちさんはこれを「キン肉マングレートと最強タッグ結成→皮膚がめくれて白い肌がのぞいて不信→友情を取り戻してマッスルドッキング」と評しました。
あのとき空席があったら、この場面に出会えなかった。ありがとう、登戸駅のドトール。