id:Kodakana
自分(id:Kodakana)のことを語る

[うすぼんやり]
オホーツク文化では、海の比重が高いとすれば、犬は役に立たないから食べるのではないか。アイヌ文化になると陸上の狩猟の比重が高いから犬が役に立って食べられない。

古代中国でも犬を食べたのは、農耕文化だから、牛みたいに犂を引けないものは食料にした。魏晋南北朝時代を境にして一般的には食べられなくなり、医療食としてはいくらか伝わったが、それも次第に廃れたらしい。

日本でも綱吉以前には犬を食べている。

人類の基本的習性として、社会の基礎をなす生業の役に立つ動物は日常の食料にはしないけど、そうでないものはふつうに食べるのではないか。その上で異文化からの影響とかがあって、歴史的に選好が生じてくる。

中国人は伝統的には牛をあまり食べないけど、ふつうの食料にしないということは、逆に言うと特別な場合には食べることがあった。

なにかを食べるということは、
・日常の営養にする。
・病気になった時だけ食べる。
・年に一度とかの祭りなどの時だけ食べる。
・飢饉になった時には食べる。
というくらいの区別がある。(しかし桑原隲蔵がこういう区別を全くせずに「中国には昔から食人の習慣がある」という主張をしていて頭を抱えさせられる。)

たとえばトナカイを大事にする遊牧民があって、ただ年に一度の祭りには、大事な動物だからこそ、トナカイを犠牲にしてその肉を食べているとする。

この遊牧民から分かれて別の地域に進出した集団があった場合に、本の集団から文化組織を全体として受け継ぎながら、トナカイを犠牲にして食べるということだけは、人形で代替するなどして、失う可能性がある。

この場合には、一方では特別な時だけ食べて、もう一方では全く食べないということは、そもそもトナカイは大事にされているのだから、むしろ整合的であって矛盾はしない。