江戸時代に松前家というのが道南にあって、アイヌ人に対してアパルトヘイトのようなことをやって、場所請負制貿易という方法で物産を搾り取って、だんだん北へ東へ勢力を拡大した。
一方ロシアでは、日本の織田信長の頃のイワン雷帝の時から、ウラル山脈の東へ進出して、先住民から毛皮を取り立てながら領土を拡大していった(毛皮を税として取るやり方は、かつてモンゴル帝国がロシア人に対してやっていた)。
そこで19世紀になって、両方の征服者が千島列島の途中でぶつかったから、エトロフ島とウルップ島の間で取り分を決めた(日ロ通好条約)。そこに国境を引く理由は、それ以前に先住民が経過した長い時間の中までは決して遡らない。