褒めてます!!
だいじょぶです、ゴックンとお召し上がりになっても平気ですわよ☆
それから、小説のことになるときゅうに真面目になっちゃいますけど(すみません、そのうえ暑苦しくてしつこくて偉そうで、ほんとホントにごめんなさい)。
たしかに、思いつきで書こうとするのは大谷崎も戒めているようにダメなんですよ(笑)。それでもたせられるって凄い技術が必要です。
でも、絵が浮かばないひとは何をどうしたってきっとかなり難しい、とわたしは思うのですよ。
人間は視覚情報の占める割合が多いので、そこがまず構築できないと、何もはじまらない。どの五感にどう情報を集中させまたは分散させて意味を担わせるのかは、主題によって、ときには著者の得手不得手によっても違うことでしょうけれど(わりあい、このへんが本音の事実のような気もしますが 笑)、書き手の側に「絵」がないことには読者はそれを見ることは恐らく不可能です。
(いちど実験であるものの大きさを確定しないで書いたら、見事に読み手にばれました。こういうことを確認するためにやってしまう自分もたいがいですが 笑)
「詩は絵のように」って、やっぱりわかりやすいんですよ。
ご事情も知らず、こちらの勝手でくちはばったいことを申しますが。
ぶりさんが、「おとぎ話を書きたい」と思われるのであれば、いずれ絶対に書けるときがくると思います。
わたしは、たしかにおはなしはひとが書くものだけど、ほんとのところ、その準備ができたひとに向こうからやってくるものだと信じています。
レイフェル・ラファティおじさんが言っているように、「私のところに一番に訪ねて来てくれてありがとう」(正確な引用じゃないです。すみません)が、きっと真実です。
なので、先のことだとしても、こういう「遊び」をもっともっと自由に楽しんでいただけると幸せです☆
わたしは、この世にひとつでも多く、面白いおはなしが現れることをいつも願っています。
そして、それがぶりさんの書いたものであれば、とてもとても嬉しく思いますv
ぶりのことを語る