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florentine(磯崎愛)のことを語る

id:SIMPLETON氏、御本、どうもありがとうございます!
『座談会 昭和文学史』第一巻
http://subaru.shueisha.co.jp/html/zadan/za_index.html
昨夜のうちに第二章「谷崎潤一郎と芥川龍之介」のみ読了しました。
芥川、谷崎ともに以前おはなししたようなことがここにも書かれていて、思わず微苦笑を誘われるというのかなんというのか(笑)。
洋装と和装は、彼らとは別件で思うところがあるのでナルホドと。コレはいつか書くでしょう。わたしは和装をするオンナなので。
芥川はたくさんホラーを書けばよかったのではないかとしみじみ思うのですが、どうですか?
ゴーチエ風の、怪奇趣味の。またはラヴクラフト風の、それとも不条理劇風の、いかにも純文学風の「不安と恐怖」。谷崎も得意そうだけど、芥川のほうが文体にキレのあるぶん余韻が残るし、また「得体の知れないモノ」書くの得意そうだけどなあ。
と、わたしってば好き放題ですわねv
ごめんあそばせ。

あと面白かったのは、わたしが「芥川の文章はキラっと光る一文がそこかしこにあるけど、基本的にはぶつぶつ切れて、そのうえトトトって不整脈みたいになってる」といってたのを、中村真一郎さんは「いちいち釘でとめているみたいだ」と評しているところ。この、「いちいち」がいいねv
しかも、「芥川さんの文体で小説を書くということは無理なんですよ、もともと。あれは俳文だから」と言い切られた日には、わたしもたいがい口が悪いが負けてるね、と素直に降参いたしました。

それから、文体論。
三島ファンとしては、同じく中村さんの「つまり、三島君の文体で書ける現実というのがもう最後の四部作で終わっていた。あとは死ぬよりほかなくなった」というのは「慧眼デス!」と生意気に叫んでしまふ(笑)。
ただ、わたしはファンなので、三島には「書けた」と思うのですよ。「どんな文体でも書ける」って三島はいったらしいけど、そりゃそうで、一流の作家であれば、ただ真似して「書く」ならどんなものだって出来ますよね(笑)。でも、自分の書きたいことに適した「文体」というか「語り」、その限界は当然あって、コトバこそが現実を覆していくことを彼は知っていたはずで……。
だから三島は、ジョイスをすべてちゃんと訳してしまえばよかったのではないかと。
SFの好きな三島、ダレルの四重奏(すでにしてわたしにはニューウエーブとしか読めないあの作品)を読んだ彼なら、「退屈な獣、常識」と書いたジョイスを理解できたのではないかと思う。
と、先日、柳瀬訳に突撃したものの頁をあけた瞬間に尻尾を巻いて退却したわたしが言ってみる(笑)。
おや、谷崎と芥川のはなしではなくなってるゾ。ま、いっか☆