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florentine(磯崎愛)のことを語る

burieさん、こんにちはー☆
このように素晴らしい感想を頂戴して、「書いてきて、生きてて、よかった」以上の何ものでもないと、本音で申し上げます。
(あんまりお褒めいただいたもので、読んでくれた友人まで照れてましたv)

作者が自作について語るのは「読者」にとっておそらく無用のことであり、また書き手としては「究極の羞恥プレイ(嫌いじゃありませんが 笑)」であるとお断りして、そのうえで、自分自身の混乱をすこしでも糾すために、無様ではありますが、お返事がわりに「栗本先生とわたし」のことなどお話ししたいと思います。

「レクイエム」というおはなし、感慨深かったです。
先生がお亡くなりになったのが今年の5月、連載を始めたのが2008年のことですので字義通りの意味での「レクイエム」とはならないのですが、より深いところで心情的にはそうであったであろうと、あらためて気づきました。

栗本先生は十代のわたしの「アイドル」でした。まさに思春期の熱病! 大ファンでした。それこそ、自分が栗本先生になりたかったし、「先生はわたしの気持ちを誰よりもよくわかってくれている!!」って妄想を抱いていました。

けれど、大学生になったあたりからわたしはその新作を読まなくなってしまったのです。好みが変わったというのもあるでしょうが、先生の文体、究極的には「書くもの」が変わってしまったと感じられたことが大きかったと思います。

じつは、友人と同人誌をはじめた昨年の5月には「大人のための少女小説、または少女文学」というコピーを掲げておりました。
その八月一日(八朔の日!)に、このコピーを外し、サイトをリニューアルして『歓びの野は死の色す』をアップしました。
ついで、その翌日、ある閉じた場所で主に栗本薫先生の『小説道場』について語り、わたしがどんなにか先生の本を愛していたか、多大な影響を受けたか告白し、そしてこれからはそのご恩返しをしたいと綴っています。
burieさんに、あの文章が透視されてしまったかのようで吃驚しました(笑)。

その一部、ここに写します。

「書くということは恐ろしいことだ。それは何も隠せない。自分自身を、そしてこの世界を真剣に見つめることだ。地獄の底におりていくことで、誰からも助けてもらえない孤独な作業でもある。そういうことを、たいていの作家はサラリと書く。でも彼女(栗本薫)は違う」

わたしは「小説家の書いた小説に関する本」が大好きで、辻邦生、カルヴィーノ、エーコ、ロッジ、高橋源一郎、保坂和志、大塚英志、佐藤亜紀、金井美恵子、後藤明生、久美沙織などなど読み漁っているのですが、じつのところ、栗本薫先生の本以上に凄まじい衝撃を受けたものは他にありません。

そうした諸々ありまして、『歓びの野は死の色す』は、わたしにとって転機となりうる作品であるのだろうと改めて思いました。この小説はまた、WEBにアップすることで、生まれて初めて、まったくもって面識のない方に読んでもらえる作品でもあります。

burieさんにおかれましては中途の小説の深部を丁寧に汲み取り、また、書き手として未だ至らぬ者を優しく励ましていただいて、感謝しております。読者様に育てられるという、あの言葉はまったくもって真実であるなあと、しみじみと、感じています。

今回こうして感想を頂戴できたことは、わたしにとっては「生きる糧」を貰い受けたようなものです。大袈裟に思われるかもしれませんが、真実、そういう気持ちです。
burieさんにもっともっと愉しんでいただけるよう、一生懸命精進いたします!
これからも、どうぞよろしくお願いいたします☆