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florentine(磯崎愛)のことを語る

id:kanimasterさん
>この作品の舞台は東京の千駄木なんです。昔から、森ガールは都会的な(架空の)存在だったのではないでしょうか。

そうですね。「都会的な(架空の)存在」というのはまさに仰るとおりだと思います。
「恰(あたか)も黄昏に樹深き山路を辿るが如し」の「恰も」がその象徴的な一文で、現実の山路ではなく、架空の、いわばヴァーチャルな山路。
それゆえに、わたしには「山奥に棲む妖魅系美女」=「現実にはいない架空の存在」が想起されます(鏡花御本人は、いると思ってたかもしれませんが)。
なんというか、王妃様であるマリー・アントワネットが田舎風のかっこうをしたからこそ素敵v みたいな捩れた魅力がそこにあるのかなあと思っています。
鄙には稀な、という言葉があるように、田舎娘が田舎のかっこしていても、それは「普通」というのでしょうか。
森(自然)と都会(人工)という比較で考えると、女性の表象というのはじつに複雑で面白いなあと思います。実は、あのブクマで鏡花のもう一方の女性像、花柳界に棲む垢抜けた人工的な玄人女性のこともぼんやり考えていたのですが、まとまりませんでした。
それはべつにして、鏡花には母恋の想いもありますし、女性に対する思慕の念がひとかたならず美しいですよね。