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勝手に引用のことを語る

鵜飼 哲 『応答する力 来るべき言葉たちへ』
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B1%FE%C5%FA%A4%B9%A4%EB%CE%CF
 
 「そしてもうひとつ、ジュネとドゥルーズの傷をめぐる思考には、キリスト教文化を背景にしてはじめて理解される部分がある。キリスト教はすぐれて傷の宗教である。政治的か否かを問わず、傷、受難、告白、謝罪、改悛、和解、赦しをめぐる言説には否応なくキリスト教の影が射す。それはもはや影響というレベルのことではない。受難と贖い、あるいはむしろ受難による贖いというキリスト教思想の世界化を前提に、別文化、別の時代のなかで、別の戦争に抵抗するために、死者を思い、死者のかわりに生きる〈私〉の生を思い、すなわちただ単に生きるために、一見無宗教、無神論の形さえ取ったキリスト教の両義的な世界化にどのように応答するべきか。本書で触れた何人かのアジア人の表現は、例外的な力でこの課題を照射し、そこに繰り返し訪れるべき痕跡を遺したと思う。
 「応答する力」、この表現もひとつの翻訳でありうる――フランス語でresponsabililte※と綴られるラテン語由来のヨーロッパ語の。新たな世界戦争のなかで、それに抵抗するため、一刻も早くそれを終わらせるため、応答する力の増大を求めて地球規模の翻訳作業が、集団、世代、個人の経験の間で加速化している。日本語の表現世界もその渦中にあること、本書が示そうと望んだのはそのことでもある」※引用者注 アクサン記号省略。

「終章 傷になること」から引用