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西洋美術史のことを語る

おすすめキーワードか勝手に引用と悩みながらこちらへ
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十七世紀の巨匠 ニコラ・プッサン 
研究の現状
一般公開講演会

使用言語:フランス語 (同時通訳付き)
日時: 2012年09月11日(火) 14:00 - 16:00
場所: 1階ホール
講演者: ピエール・ローザンベール (アカデミー・フランセーズ会員/ ルーブル美術館名誉総裁・館長)
ニコラ・プッサン《自画像》1650 年、 ルーヴル美術館蔵
   【司会】高階秀爾(大原美術館館長)
   【主催】日仏美術学会、日仏会館フランス事務所
   【協賛】公益財団法人鹿島美術財団、西洋美術振興財団
   【協力】三菱一号館美術館

* 参加者限定の研究セミナー等を除き, 特に記載のない限り, 日仏会館フランス事務所主催の催しはすべて一般公開・入場無料です. ただし, 席数の都合でご入場いただけない場合もありますので, 予めご了承ください.参加申込はメールで(contact[の後に@mfj.gr.jp] まで)どうぞ.
http://www.mfj.gr.jp/agenda/2012/09/11/conf_pierre_rosenberg/index_ja.php
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プッサンというとフランスアカデミーの祖、西洋美術史的にいうと「大親分」、外しちゃいかんエライひと的なひとだとおもってくれるとわかりやすいかも とにかく上座へご案内すべき的な
わたしが読まされた(ていうあたりがもう、ね!w)のはフリードレンダー著、若桑先生の訳書『プッサン』(世界の巨匠シリーズ)美術出版社のみなのですが、あとはシャルティエの『書物から読書へ』でプッサンの書簡の訳出があります、という程度だけど『四季』がきたときはしっかりと見に行ってます(フランスでもみてるけど)
西欧美術史をやるうえでプッサンの偉大さというか重要さはもっと喧伝されていいっておもうのですが、どうなんでしょ?(ていうかわたしは下の記事でいうところのプッサン派ですの、線すきーなのでw ルーベンスも好きですけどね、あえてドッチだって問われたらわたしはソッチに立たないといけないという使命感で)
したは、はてなーでもいらっしゃるid:DG-Law さんの記事から引用させていただいます

nix in desertis:芸術定義議論の歴史的経緯1~3
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51856724.html
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51858714.html
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51196178.html
「しかし,フランスのアカデミーにおいて本当に特筆すべきであるのは,イタリアから古典主義を輸入したことだ。それぞれ発現の方向性は異なるとはいえ,スペインもドイツもオランダもバロック一色で染まっていた時代に,ニコラ・プッサン,クロード・ロランを輩出したフランスの独自性には脱帽する。フランスアカデミーが最終的に他を出し抜き,頂点に躍り出たのは古典主義が保存されていたためであるとされる。

で,どうしてここまで長々とアカデミーの歴史を書いたかと言えば,プッサンの名前を出したかったからに他ならない。後世に言うプッサン・ルーベンス論争である。言い換えればこれは「線か色か」という,17世紀後半の画家同士の争いであった。プッサン=古典主義=線であり,線とは均整を意味し,均整とはすなわち人間の理性であった。どういうつながりだってばよ,意味不明だぜという人もおられるかもしれないが,ラテン語で理性を示すratioには「比例,割合」という意味もあるように,古代ギリシア・ローマの伝統では物事を切り分けて推理することが理性の仕事であり,これは絵画におきかえれば確かに線の仕事なのだ。

(またどうでもいい余談を挟むと,この線=理性=キリスト教の神という思想を突き詰めていくと理神論に到達し,さらに発展させるとフリーメイソンの教義になる。フリーメイソンの直訳が「石工」であることや,彼らの掲げるシンボルマークは「コンパスに目」であることに注目したい。一方で社会を取り巻くこの理性狂信はフランス革命という政治的成果も生んだ。革命政府が何を好んだか?新古典主義というのは偶然の一致ではない。)

逆にルーベンス=バロック=色であり,世界の再現・創造が絵画の使命であるのならば,色も線に勝るとも劣らぬ重要な要素であり,場合によっては線を凌駕する機能を持つとしたのがこちらの側であった。またこの対決は,理性を意味する線に対して,色彩は人間の感情を激しく揺さぶる情動を示すとされ,その意味では心身二元論上の哲学代理戦争であった一面もある。さらにこの対決は,この時代には表面化しなかったさらなる要素もはらんでいた。そもそもルネサンスの時点で「思想」と「技術」が,芸術家が芸術家たりうるための条件として設定されたが,問題はこれらがごっちゃになっていたということであった。そして,「思想」と「技術」の分化が始まったのが,プッサン・ルーベンス論争ではないかと私は思うのだ。

プッサン,というよりも古典主義はうまく線を引き,世界を構成する「技術」の優越をうたったが,ルーベンス派は世界の創造という「思想」的要素を重視し,その世界は必ずしも均整のとれた理想的世界である必要は無いという理念を,ルネサンス以後の西欧の美術に初めて打ち出した。つまり,極論して言えば(今私は世界中の美術史家に土下座しながらこの文章を書いているが),以後の美術史はプッサン・ルーベンス論争の延長でしかなく,そしてルーベンスの勝利で締めくくられることになる。」

あとこちらもおすすめv
 
偉大なる画家十選
http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/51196178.html

線と色彩に関する件は、こちらをヴェルフリンについて→http://h.hatena.ne.jp/florentine/189927088591388462
 
絵は、このへんが見やすいかな?
 
ニコラ・プッサン
http://www.salvastyle.com/menu_classicism/poussin.html