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展覧会のことを語る

セザンヌ パリとプロヴァンス
http://cezanne.exhn.jp/
 
最終日にかけこみでいってきたよん♪
ヴォラールの肖像、あのヴォラールはとてもいいひとな感じ(ヴォラールの肖像はいろんな画家がかいてて、たしかにどれみてもちゃんとヴォラールなんだけど(当たり前ですが)、でも、画家の個性やその関係によってまるで違う印象を与えるのでけっこう見比べるのが好き) 
それから庭師 ワシントンで見てた 庭師いいね、庭師! セザンヌと庭師で短編かけそうな気持ちになったよ
オルセーの静物画があたりを払うような気品があって、いや、エラそうで受けた(マジで偉そうに見えたの! オラオラっ!ていうか、いまどきの言葉だとドヤ顔みたいな? 会心の出来と、絵自身が高らかに喧伝するようなありさまだったのよマジで、オルセーで見たときはそんなふうに思わなかったけど、絵って置く場所によって表情変わるよね) まるで神話画か歴史画のような品格のある静物画でしたよセザンヌ凄い
セザンヌみると、そこはどうしても、どうしても三角にしないと気がすまないのよね、そうしたいのよね、そうなのよね、うん、わかったよ、わかったよ!て言ってあげたくなる 形態への執着とか固執というか、アレみると圧倒されるなあ あんだけやれば本望だろうって思ってたけど、あんだけやるのにやっぱり凄くイロイロ考えて試行錯誤してるんだなっていうのが今回よくわかって、それがとてもよかった 励まされた やっぱ、気になることややりたいことはやらなきゃダメだ けどすぐそれが出来るわけじゃないってこともわからないとダメだ
サント・ヴィクトワール山はいつものごとく荘重で麗しく素敵でした 晩年のも凄くよかった もうわたしはあの山をセザンヌの絵からしか見られないって思いつつプロヴァンスで眺めて、それはそれで素敵なことかもしれないなと今日はおもった
 
セザンヌは印象派ともある一定の距離をたもったひとで、それはそのプロヴァンスという田舎に家があったからな理由もあって、そのへんの「感覚」(生活感覚みたいなこと)もよく掴めた アトリエが展示されていて、あれは、あれは田舎のお金持ちだわ、と プロヴァンスという語はもともとローマの属州って意味で、しかも19世紀はパリが光の都とか言われてた時代で、その後すぐアルフォンス・ドーデ―みたいな南仏を舞台に描く小説家が活躍したりするのです(ふたりはまさに同時代のひと) このパリ・プロヴァンスという行き来には非常に意味があるな、と
あとセザンヌを画家として超一流、とわたしは思っていないのだけど(わたしのいう超一流レベルはたとえばミケ様とかピカソとかのこと)、そうはいってもやはり凄いことをしているなあと
抽象画の始まりがどっから来ているのか、というと、もうギュスターヴ・モローあたりからキテルってわたしは思うし高階先生もそう書いてたからやっぱそれでいいんだって考えてますが、今回の展覧会ではセザンヌの抽象画への、またはありきたりの言葉で云うと「近代絵画の父」たる道筋がハッキリ捉えられていて、そのへんも面白かったです