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歓びの野は死の色すのことを語る

はねる

 帝国領エリゼ公国のひなげしは青い。
 いや、正確には公国の西南に位置する《歓びの野》に咲く花だけが青い。
 伝説によれば、この国の守り神である死の女神エリーゼの血は青く、その傷から流れ出た血によって染まったものだという。
 おれは白いひなげしを山とさした花瓶を捧げもって歩いている。こんなものを自分で部屋に運ぶなぞ、生まれてはじめての経験だ。本来ならおれを補佐する神官見習いか侍女の仕事だろうが、あいにく人手がないので致し方ない。
 しげしげと見つめた花びらはパピルス紙のように薄く、細かなひだが寄っている。
 子供のころ、どうにかして青いひなげしを目の届くところで咲かせたいと、城の庭に種を撒いてみたりこっそり土ごと運んで植えてみたりしたが、いずれも芳しい結果をうまなかった。そうしていろいろ試してわかったことのひとつには、あのひなげしは《歓びの野》以外の場所では白い花を咲かせるということだ。
 もちろん、青いひなげしは死者に手向けるとき以外、摘んではならないことくらい知っていた。女神を奉ずる神官でさえ、祭り事のときにだけ敬意をもって摘みとるにとどめ、みだりに手を触れない。
 だが、おれは不敬な不埒者で、女神の恩寵そのものを疑っていたのだと思う。
 そもそもおれは、この国では珍しいまっすぐな黒髪に黒い瞳をもって生まれてきた。闇を従える女神は己の分身である夜の色をまとっていると信じられていて、この地でそういう子供が生まれれば、その子は女神の寵児としてまつりあげられた――
「今さらおれが太陽神の神官になりたかったといっても、誰もそれを信じまいな」
 花瓶を片腕にかかえなおして扉をあけたとたん、暗がりに耳慣れた呆れ声がかえる。
「そういうことばを無闇やたらに口に出されるのはどうかと思いますが。今現在、貴女様は公国の葬祭長でおいでなのですから」
 おれの執務室だというのに勝手に居座っていたそいつは、ルネ・ド・ヴジョーという。長ったらしい正式名は省略する。実をいうと失念した。ついでにこの花の贈り主だ。
「それに、そなたの神は女の神官を認めぬからな」
「そうですね」
 彼のまつる太陽神は国教と呼ぶに相応しく、帝国全土で広く信奉されている。しかしながらこの国では当然、少数派だ。彼が三十歳になる前に第一神殿の主という栄誉ある職を襲うことができたのは、信者が少ないという現実的な理由とともに、その骨柄のよさがある。
 なにしろ彼と同名のルネ・ド・ヴジョーは伝説の円卓の騎士のひとりで、皇帝ユスタスとともに蛮族と戦い《歓びの野》に散った勇者なのだ。爵位は伯爵だが格がちがう。さらには、わがエリゼ公爵家より歴史は古い。
 じっさい、純白の式服を脱いで大青で染めた上下をまとっているのを目にすると、無腰であることが奇異に思えるほど騎士然として見えた。
「ところで、誰の許しを得ておれの部屋に入ったのだ」
 闖入者へと鷹揚にたずねた。まずは礼をいうつもりが、主のいない部屋に入るという不躾な振る舞いにそれはとりさげる。
「葡萄酒の樽をお届けしたら、あの女戦士たちがこちらへ案内してくれましたよ」
 思わぬ背信をつきつけられて、危うくうめき声をあげそうになった。
 酒で買収されたか、アマゾオヌたち!
 まさかその程度の貢物で裏切られるとは思ってもみなんだ。それともおれが、あまりに強く締めつけすぎたか。