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歓びの野は死の色すのことを語る

騎士

 黄金の巻き毛のしたで水色のひとみが煌いた。トマスはかるく息をのみ、つづきを待った。
「エリス姫の遺言により、『騎士』に手を触れることは許されていません。ですが、その姿をみることはできます。ぼくの目では、ヴジョー伯爵はとうてい死んでいるとは思われません」
「屍蝋化した遺骸ってのは見たことがあるが……この国のひとびとは、呼吸や鼓動くらいたしかめたって罰はあたらないと考えなかったってことですか?」
「もちろん、『騎士』の身体を科学調査すべきという意見は多々ありました。ですが、《死の女神》教団がそれを許容しませんでした。現実的にあの黒衣の騎士たちを蹴散らしてヴジョー伯爵に近づくことは困難です。さらにはこの国のいったい誰が、われわれの母であろうとしたエリス姫を裏切り、彼女のもっとも愛した人物を貶めることができましょうか?」
「貶めることになると?」
「眠っている者に手を触れるのは、やはり非礼でありませんか?」
「まあ、そう言われれば」
 トマスは口ひげを指先でしごくようにひっぱって自分より背の高い神官をみた。それから小さく肩をすくめ、敬虔なんですね、とつぶやいた。
「われわれエリゼ派の信徒は他者を自分と対等にみるよう教わります。それは、相手の意見や考えを自分のそれと同じように重くみなさいという教えです」
「素晴らしい教えと思いますが、実に難しい」
「おっしゃるとおり、簡単なことではないとは思います」
「あなたはどうしてエリゼ派に?」
 シャルルはそこで驚いたかのように目をみひらいた。異国の青年はあわてて、今の質問が非礼であったらお許しくださいと言い添えたが、そのときには神官の顔に笑みがもどっていた。
「ぼくはエリゼ派の神殿の前で拾われたのです。さきほど通り過ぎたあの捨て子置き場は都市部の裕福な女神の神殿にしかありません。ぼくはエリゼ派の総本山のある村で捨てられた子供で、あそこで育ちました」
「それではあなたは神官になるための運命を用意されたようではありませんか!」
「そのようなことはありません。ぼくはほかに道がなかったがゆえにあそこにいるのではないかといつも考えます」
「その若さでこうして《夜》の研究に携わり、条約委員に名を連ねているのは大変名誉なことなのでは?」
「名誉なことかもしれませんが、長に頼まれたからやっているだけで、自らすすんで学ぼうとしているわけではないのです。ぼくには賢聖ジャンの情熱はありません。また、自分の出自に誇りをもち、高い志でこの国を愛す方々とも違います」
 それが誰をさすのかはすぐに察しがついた。彼は頤をひいてエリゼ公国の歴史を思い返した。この数百年、他国に侵されることなく過ごし、内戦や革命を知らず、文化的で裕福な小国の在り様を描きだし、それから自分の国の短い歴史を想った。そしてまた、貴族であったことなど忘れたかのように闇雲に開拓に生きたおのが一族をもふりかえって嘆息した。それは報いの少ない重労働と破産、そして差別の歴史であったからだ。
「この国は、わが国の独立をもっとも早くに支持してくださった」
「ええ。奴隷制には反対しましたが」
「しかし、自国の貴族制は歴然と残してある」
「矛盾と感じるお気持ちはよくわかります。されど、エリゼ公国は、『血』を捨てることが困難です。公爵家が女神の末裔であることがこの国を支えています。 それに、代々の公爵たちはどのような政治体制であろうとも選ばれた少人数の人間がまつりごとを行うことに違いはないと喝破しています」
「まあ、それはそうですね。民主的な共和制であろうと、少数の誰かが国の舵取りをすることは間違いない」
「ええ。僭主であろうと快適なそれであれば問題はないのです。ましてや、女神の守護を信じる国民にとって、エリゼ公爵家がこの国の主であることを忌避するいわれはない」
「だが、『騎士』がいなくなれば? 『騎士』こそが、女神の寵愛もっとも深き証という奇蹟ではないのですか?」
「いいえ」
 神官はそこではっきりと否定した。トマスは目の前に立つ若い神官が濡れた金髪の水滴をはらうようにかぶりを振るのを黙ってみつめた。神官シャルルはついと視線をそらし、それからおもむろに口をひらいた。
「多くの方が忘れていますが、『騎士』は、われわれ太陽神殿の神官です。われわれの推測によれば、《夜》の成功は太陽神の化身といわれた皇帝アウレリウスの降臨にかかっています」
 こんど目を見開くのは異国の青年の番だった。
「降臨? 降臨とおっしゃいましたか? 【召喚】ではなく?」
「【召喚】とは、女神の神殿の葬祭長が死者を呼び出すときにつかうことばです」
「それはそうですが……」
「ひとが神になりうることに驚いてらっしゃるのですか? 帝国皇帝が太陽神エリオの末裔であり、エリゼ公爵家が女神エリーゼの寵児であることは自明のことです」
「いや、それはその、どこの国のどんな名家でも、神話上の英雄や神の子孫であると名乗るものであって、未開社会における部族長なんかも」
「クレメンズさん」
 シャルルはずいと一歩すすみでて、茶色の髪の青年をみおろした。痩身でありながら上背でまさる神官はにこりと笑って言いたした。
「ぜひともその調子で、ヴジョー伯爵令嬢アンリエットさま、もしくはこの国の公爵閣下、または次期葬祭長であらせられるオルフェ七世殿下とおはなしいただければお連れしてまいりました甲斐もあったというものです」
 トマスは唖然として口をひらき、それからゆっくりと閉じて鼻の頭をかいてから、自分がここに連れてこられた本当の理由にかるく肩をすくめ、あの一見して只者ならぬ面構えの太陽神殿の長が自分を弟子とともにここに遣したのはあちらの狙い通りであったのだと苦笑した。彼が、利用されたのである。
「そんなに恐ろしい方々なんですか、そのお三方は? 公爵閣下は酔狂な方だとは聞き及んでますが?」
 その質問には二つの点で、シャルルはこたえようがなかった。あれが酔狂と呼ぶ範疇におさまるのかという点と、また自分たちの国を治める上つ方が恐ろしいと述べることがあまりに時代錯誤ではないかという点とにおいて。いくらか逡巡したもののシャルルは相手の追及をかわす術を知らず、持ち前のすなおさで本音をこたえた。
「恐ろしいというのが言いすぎであれば、変わった方々ですよ。とても奇特な皆様だと思います」
 トマスは新聞記者という仕事柄、少なからぬ数の「変わった」と評される人間たちに会ってきた。また、水夫をしていたときにも、兵士であったときにも、彼はその持ち前の好奇心で事件とあらば顔をつっこんで人間の立ち居振る舞いというものをじっくりと観察してきたつもりだ。とはいえそれは、まごうことなく「人間」であって神の末裔などという大それたものではない。
 彼が腕をくんで考えをめぐらしていると、シャルルが珍しいことですがと言い置いて、ぼくたちは待たされているようですと顔を伏せた。時間が押し迫っているといって急かせたことを申し訳なく思っているようだった。彼としてはこうして神官シャルルと太陽神殿の意向をあらためて知る時間ができたのはありがたかったので何も問題ないと口にするつもりだったがそこで考えを改めた。そうした礼儀正しい応酬がなにも生まないと彼はもちろん、すぐそばの神官も信じてはいなかったからだ。彼はその時間を惜しみ、かわりに長年その胸を悩ましつづけた事柄を質問した。
「さきほどの話にもどりますが、どこの国でも王族が神の末裔、もしくは神から遣わされた、または許された英雄の子孫だと名乗るのは何故だと思いますか?」
 シャルルは顔をあげ、相手の表情をおしはかるように見た。その視線にも瞳を揺らさないトマスをみとめ、窓の外へと視線をやった。雨が先ほどよりは小降りになり、もうすぐやむ気配であった。雲間からもれる金色の筋をひとみにうつし、シャルルは《夜》の訪れの後、この世界が変わるであろうことを感じていた。
「神官さま?」
「そう。ぼくは神官です。クレメンズさん、あなたは今、ぼくに政治をお尋ねになられた。政治的な理由ならぼくにだって言える。それが権威付けであり、支配に有効だからという誰もがこたえうることを口にすればいいのです。でもあなたは本心では違うこたえを欲していて、ぼくにはそれにこたえる用意がないように思います。
 それから、あなたはきっと、あの青い雛罌粟についての科学調査を望んでおいでなのでしょう。さきに申しあげますが、鴉片が花ではなく実から採取されるように、あの青い花そのものに幻覚をみせるような格別な作用はありません。われわれが問題にすべきは、あの花がこの三百年まるで実を結ばないということです」
「科学的に確認されていると? 採集し、測定した調査結果が出たんですか?」
「まさか! そんな不敬が許されるでしょうか? 実がなったのを見ているのは、アレクサンドル一世葬祭長だけです。彼だけが、その実を見つけて採取することができました。けれど通常あの花を摘むことができるのは女神の神官のみで、葬儀のとき以外に手を触れるのは女神への反逆の意ととられます。例外は《夜》 ですが、今年は青い雛罌粟を配らないそうです」
「いつも《夜》のときには個人宅へと配ってたそうですが?」
「今年はしないそうです。なんでも人手が足らないとかで」
「そんな理由でですか? 私はあの花こそが、死者が舞い戻ってくるという幻想の、なんらかの秘密じゃないかと思ってきたんですがね」
 呆れ顔の異国人にシャルルは小さく笑い、死者を埋葬するときに見る花ですから、そのときの人物が夢のなかにあらわれる契機に相応しい表象ですよね、とうなずいた。
「クレメンズさんの言うように、われわれ太陽神殿も長い間、あの花が死者を連想させるものとして認識してきたのですが、そう事は簡単ではないようです。夢の研究は昨今の神経症の治療法などによって、ようやく端緒が開けはじめたばかりです。実をいうと、この国ではアレクサンドル一世葬祭長の時代から取り組まれてきたことです。それが物語とともにあることや、ひとの人生と重なることを含め、またすべての語りが過去形で記されることも鑑みて、今後もひとの歴史ほども永く語られて調べられ続けられることでしょう」
 トマスはその言い方が気になったが、どこがどう自分の気に障ったのかわからなかった。そのかわり、わかりやすい単語にとびついた。
「アレクサンドル一世という方は、ずいぶんと変わった人物ですよね? 幼いころにはエリゼ派に身を寄せ、葬祭長になってからはモーリア王国によく出かけ、《至高神》をまつる司教なんかとも親しく交流して、あの国で火炙りになりそうだった異端の科学者を亡命させて匿ったり、それから自身が詩人で小説家であったせいか大陸中の俗謡と民話の蒐集家でもあった。お忍びの格好で大陸全土を歩きまわったっていうあの逸話は本当ですか?」
 神官シャルルはその質問には屈託なく笑った。
「それはまあ、ぼくがこたえるより後ほどオルフェ殿下におこたえいただいたほうがよろしいでしょう。なにしろ、オルフェ殿下は今、アレクサンドル一世猊下を【召喚】なさっているはずですからね」