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『歓びの野は死の色す』つれづれのことを語る

今日はここらへんを

>子爵家はエリゼ公爵家に恨みのある一族だ。知っておろうが、大教母の夫が死んだのは子爵家の女の腹の上だった。だが、子爵家は大教母が、またはエリゼ公爵家がふたりを殺したと信じている。やってもいないことで恨まれるのは片腹痛い。だが、貴族なぞというのはそんなものだ。

「>まあよい。いつの世も、臆病者は長生きするものぞ。そなたは天下国家と寝るのがお似合いだ。われの夫のように、妻以外の女の腹の上で死ぬる運命にはない。

ちょっと、ここはおぼえておいていただけると嬉しいです
いちれんの大教母のせりふとともに」

というところと呼応します
叛乱て、権力バランスの不均衡っていうのは当然のことあって、いま手許にある資料を探し出せないので流して書いちゃいますが、当時のフィレンツェ貴族の納税額とか見ると、あー、これ、パッツィ家が叛乱起こすのってなるほど、ていう納得がある一方、恥をかかされたとか、馬鹿にされたとか、名誉だのなんだのっていう怨恨がちょくせつの契機になるのだな、ていう、なんというかこれまた当たり前のことにあらためて気づかされたりして、「人間って!!!」みたいな気持ちになったりします