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『歓びの野は死の色す』つれづれのことを語る

今日はこれです!

>《夜》を目前に、古神殿に引きこもったままの僕には、世間の情報はなにも入ってこない。集中のため、外出はおろか連載小説の続きが気になって仕方がない新聞でさえ差し押さえられているのだから!

新聞小説
http://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%81%9E%E5%B0%8F%E8%AA%AC
「かくしてオノレ・ド・バルザックは、不本意ながらも、初の本格的新聞小説家となる。アレクサンドル・デュマ(父〈ペール〉)が書いて多くの読者を獲得した波瀾万丈の物語、『三銃士』(1844年)、『モンテ=クリスト伯』(1841〜45年)は共に新聞小説として発表された。その『モンテ=クリスト伯』の翻訳を、1901年、自らが創刊した新聞「万朝報(よろずちょうほう)」に、『巌窟王』の表題で連載したのが黒岩涙香である。」

いやーーーもうーねえええええ
気持ちがわかるよ、オルフェ七世猊下!
三銃士連載されてて新聞とめられたら泣くよ、マジで!!!(たぶん脱走する、わたしならw)

「小説もジャーナリズムも、18世紀イギリスにおいて誕生したものであるが、新聞連載という発表形式は、英米圏ではついぞ重要な位置を占めるには至らなかった。19世紀を代表するイギリス作家チャールズ・ディケンズにしても、新聞でデビューはしたものの、その長編の多くは分冊形式で出版している。現代アメリカでは、SFやホラーなどの専門誌を除けば、長編が雑誌連載されることすら稀である。新聞という媒体が、大きな影響力を行使したのは、日本と19世紀フランスにおいてである。」

この小説はいちおう、日仏修好150周年記念小説だったので(そういう予定だったんですよ、ほんとに! だからエリス姫の時代から150年でアレクサンドル一世の時代、それからまた150年でオルフェ七世たちの時代、さらに150年で現代ていうふうにしたかったのだ)、この「新聞小説ネタ」はずえったいに書くぞ書くぞ書くぞ~~~~~ておもってましたw
いやー、こういう小ネタかくのにある種、命賭けてるというか、歴史小説はこのへんの小技きかせてなんぼでしょって思ってるので、へへへ☆
で、
わたしの小説観の多くは19世紀小説に負っていて、じぶんの小説の理想形のひとつだったりします
今となっては古典となるくらいに完成度が高いいっぽう、当時の新聞が買える階級のひとびとにも楽しく読めたもの
というか、モーパッサンの短編レベルのものが新聞で毎日よめるってすごいよねえええ、うらやましすぎ
わたし、夢中でよんだ新聞小説ってたぶん、『花と火の帝』くらいかなあ(しかも絶筆で未完・・・あのときはほんとに悲しかった 涙)