夢のように、おりてくるもの』 第三部「夢の花綵(はなづな)」夢うつつ夢うつつ 15
http://karakusaginga.blog76.fc2.com/blog-entry-698.html
黒髪君語り
じぶんを拉致って(いや、正確にいうと攫われたわけじゃないですな)暴力をふるい乱暴した相手を最後までこのひと「依頼人」と呼び続ける
でもわたしは、そういう、やたらプロフェッショナルといえば聞こえはいいですが、ようするにくそまじめで融通が利かず、よわいひとなゆえにプライドの高い、さりとて己の保身のためだけに何かを捻じ曲げようとするほど愚かでもない黒髪君でなければ書こうとおもわなかったな、ということはなんかよくわかりました
「かつて柳田国男は、災害や不幸や貧困に共同で対処する「共同防貧」の構えがわたしたちの社会のなかからしだいに消えていき、それらを「説くに忍びざる孤立感」のなかで耐えるしかなくなった「孤立貧」の蔓延を、社会の深い病理として憂えたことがあった」
http://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/1996sf1.html
先日のこれも
大塚英志 『未来まんが研究所』特別編~柳田國男と普通選挙・公民の民俗学をめぐって~
http://live.nicovideo.jp/watch/lv116962508
ちょうどこれ書いてたとき、タイムリーだったので
「夢使い」とはなんであるのか、ていう問いについては読んでくれたひとがそれぞれにこたえを見つけていただければこれ幸いなのではありますが、
あるていどの現代性やら批評性やらといっためんどくさいもの(笑)を作品が保持していなければやはり作品の命は短いし面白みもないとおもって書いています(そういうものを遺棄したり、嫌うこと自体は全然それもアリ、なんですけどね、自作品においてそれは志向しない、というか)
てかんじで、
次も、痛いはなしです
が、おったのしみに~♪