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歓びの野は死の色すのことを語る

《夜》

 ったく、どいつもこいつもくだくだしい繰言ばっかでちっとも《夜》について語れていない。しかもアンリエットをのぞいてあいつら自分の名前さえ喋っていない。不親切極まりないというか、なんというか、いいかげんさらせと怒鳴りつけてやるところだが、まあ、オレも疾うに「死者」となった身分だからな。おとなしく、《夜》の登場人物らしく振る舞ってやるよ。
 昔むかし、といってもオレ様の生きていた時代から百五十年ほど前のこと。
 このエリゼ公国にエリス姫とよばれるたいそう美しいお姫様がいた。彼女は初恋のひとであるヴジョー伯爵と相思相愛ながら帝都へと旅立った。十年後に帰国したときには、彼にはべつの婚約者がいた。モーリア王国の王女様だ。
 え?
 エリス姫が帰国したときには伯爵はまだ、王女と婚約していなかったじゃないかって?
 あなたは、「私」の著書『歓びの野は死の色す』の良い読者なようだね。どうもありがとう。作者である「私」から、あらためて御礼をいわせてもらいたい。
 え?
 オレといったり私といったりして気味が悪い?
 悪いね。あなたが女性か男性かわからないとき、語り手である「私」は故意に性別を揺らがせて語るようにしている。一種の決まりなんだ。許してほしい。
 それから、夢を壊すようで悪いけど、あれは小説という虚構であって歴史書じゃないんだよ。このあたりは先日(これ、オレ様のいた時代からさらに百五十年後ね)《黄金なす丘》の城で見つかった史料によると、伯爵には秘密裏に進められていた婚約のようだ。彼が側近である城代の一族に裏切られていたのか、はたまた知っていてそれを許していたのかは、いつか彼にちょくせつ問い質したいと思っているよ。
 このオレが彼に逢ったことがないことが不思議かな?
 そうだよね。
 ゴメン。
 あなたが稀に見る素晴らしい読者であると思うから正直に話すけれど、このオレ様が唯一あったことのないのが『騎士』ことルネ・ド・ヴジョー伯爵なんだ。
 ちなみにオレはいつか、あなたにも逢う。
 絶対に、逢う。
 なんでかっていうと、あなたは必ず此処へ来るからだ。
 ただし今、こうしてオレの声が聴こえるあなたは、夢のなかにいる。
 合点がいったようだね。理解が早くてうれしいよ。
 《夜》の、いちばん手っ取り早いこたえは「夢」だ。
 目を閉じて。
 そう、アンリエットの話していたオレの顔を思い出せるかな?
 渦を巻いて背へと流れる黄金の髪、真珠をとかしたような頬、葡萄酒色の双眸……と陳腐な表現がつづいて申し訳ないが、あの時代はこういう紋切り型で美女を表現したほうが受けたんだよ。華奢な肢体、それをつつむ漆黒の衣服、雪よりも白い贅沢なレースもつけくわえておいてほしい。
 ああ、オレ様の性別は男の子だ。いま、あなたに話しかけているのはもっとも能力が抜きん出ていたはずの十五歳。べつに死後に自分の年齢が確定できるわけじゃなくて、オレの場合は此処がすべての基点であるってだけのはなし。それに、あの肖像画のせいで、年取ったオレの姿を目に浮かべられる人間ってのは、先ずもっていないんだよ。エリス姫が、二十五歳よりこっちちっとも年をとったように思われていないようにね。女性はそれでいいかもしれないが、こちとらちょいと不都合もあるんだが、まあしょうがない。
 さてと、オレの像がしっかりしたところで話を戻そうか。
 そのころは人類の歴史上における転換期のひとつで、まずは印刷技術の急速な発展があった。これによって知識の拡散が始まる。いっぽうでは火薬の使用による大砲の革新、それによる築城術の変化もあった。かんたんにいえば、戦争のやり方が変わってしまったんだ。この時代以降、大量殺戮兵器を生み出すことに人間は汲々とする。それに船だ。大海へと漕ぎ出す新しい世界の幕開けってやつだ。
 こんな初等教育並みのことをいうのは、オレにはまだあなたのことがよくわからないからで、あなたを馬鹿にしているわけではないことをわかってほしい。何故かというと、ここからが大事なんだ。
 「私たち」はその時代に、西の海に見つけた大きな島をひとつ、滅ぼしてしまった。
 知らない、よね。
 うん、あなたは知らないはずだ。
 これは、秘密にされたから。学校の授業では習わない。習うはずもないんだ。
 それは『秘密』だからね。
 いいかい? 
 でも、それは確かにあったんだよ。
 「私たち」は、この大陸の半分ほどもある《歓びの島》の住民の殆どを殺してしまった。
 殆ど。
 全員じゃない。
 全員じゃないことは、知っている。
 それに、「私たち」は彼らを殺そうとして殺してしまったわけじゃない。
 いや、これはあまりにも自己欺瞞がすぎるかもしれない。彼らを新しい労働力として連れ去ってきた者がいることは事実だ。ただ、そうじゃない、友好的な働きかけもちゃんとあったんだ。
 嗚呼。
 それは過去のひとであって「私」を其処に含めるな、とあなたは今おもったね?
 うん。それはわかる。
 でも、そうじゃないんだよ。どうしてそうじゃないかは、あなたが自分で考えてほしい。こういうことをいうと、あなたは「私」を嫌うだろうね。
 それに、何よりも、そんなことがあったなんて信じられないというだろうね。そんなことは知らないと、聞いたことがないと、証拠を見せろというだろうね。
 証拠はある。
 この、《夜》だ。
 それは、エリゼ公国の《夜》にある。
 あなたは今、《夜》の入り口にたっている。眠っているから横になっているんだろうけど(それとも、学校の教室で机のうえにでもうつ伏せているだろうか?)、でも、此処からさらに闇の深いところにおりていくのは、あなたの協力が必要だ。
 「私」はただの語り手であって、あなたを強引に誘って連れ去ることはできない。何故なら、聴くものがいなければ語り手は存在しないからだ。「私」がいるのは、あなたがいるからであって、その逆はない。
 だから、エリス姫のその後の運命をきめるのは、他ならぬ、あなただ。
 それから。
 「私」にはもうひとつ、まだ、語りきれていないことがある。
 皇帝アウレリウスのことじゃなくて(あの男もほんとうはオレと同じ語り手のはずだ。奴を誘い出してはじめてこの《夜》は明ける予定が、何を思ったのか雲隠れして出てきやしない)、この大陸のことだ。
 いいかい? くりかえすよ、この大陸のことだ。
 「私」にはまだ、それは語りきれていない。
 いいや。
 死者であるオレは、かつてほど多くを語れなくなっている。
 いや、あのころのオレは臆病で、ここまでのことは語れなかった。それでも、十五歳のオレにはもっともっと「死者」を呼び出して語らせることができたのだった。
 オレ様は、そいつを怠けた。
 怠けずにはいられなかった。
 「死者」の声を聴くのは恐ろしい。オレはそいつらに取り囲まれながら、彼らの呻き声を無視し、そのはなしに耳を傾けることを拒絶した。
 オレのもたらした《夜》は凄まじいものだった。エリゼ公国の大地には死者があふれ、生者のかたわらに立ち、その耳に声を流し込み、肌にことばをなすりつけるようにして跋扈した。
 オレが『歓びの野は死の色す』を書いたのは、彼らの声に耐えられなかったからだ。身のうちに溜め込むには重すぎた。重すぎたのだ。
 誰も、他人の一生は背負えない。
 それでも、オレはもっと別のやり方ができたはずだった。
 オレの後、《夜》は見世物と化した。
 同時代のモーリア国宰相が「祭り」と言い切りやがるくらい、演目として練り上げられた芝居のようになって、エリゼ公国だけでなく大陸中を沸かせた。もっとも、世には「賢人宰相」なぞといわれるあいつは、このオレが歯噛みするのを知っていて、あんな厭ったらしいことを故意に書いてみせたのは知っている。だが、許せんものは許せんよ。仇は別の場所でとったが、それはまた別のはなしだ。
 それはそうと、そろそろ準備はできただろうか?
 自分の名前さえ名乗ることなく《夜》を始めようとした愚か者、新しく葬祭長になるオルフェの奴は。
 それにしても、一族に同名をつけるこの習慣もいいかげん止してほしいと言ったら、あなたは同意してくれるかな? ややこしいだろ?
 そう思わないかい?
 オレ様は、仕方ないからアレクサンドル一世だといっておく。で、こんどの新しい葬祭長はオルフェ七世で、兄である公爵はアレクサンドル五世だ。
 そうさ、ものがたりとは、こうやって語るものだよ。