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「ええ。それはわかります。けど、ひとつ俺から提案があるんですが聞く耳はありますか?」
アンリが皮肉交じりに笑った。
「聞かないとは思ってもいないくせによく言うよ」
「俺は貴族を信用してないんでね」
「そうやって、ひと括りにされちゃたまらないよ。ルネさまを、古神殿に移せというのかな?」
「ええ。あちらのほうがいい施術者がいる。安全確認はともかく、神官様はお姫様にお会いしたいでしょう?」
「エリス姫は行方不明なのだよ」
ジャンの濃い眉がぐっと真ん中に寄せられた。
「それ、俺を担いでるんじゃないですよね? 行方不明って、今朝まで二人は一緒にいたって話しじゃないですか、それこそこの騒ぎは伯爵家がお姫様を誘拐したせいだなんてことじゃ」
「そのほうが良かったと思うが残念なことにそうではない。早朝、古神殿から拉致されたそうだ」
「待ってくださいよ。あそこには強持ての神殿騎士がいるでしょう? それ、神殿の身内の犯行じゃないですか。この街は今、何もかもがあの異国人の宰相の手の下ってことですか?」
「それはわからない。その黒衣の騎士が子爵家からの刺客ではないという証拠もない」
「たしかにね。エミールは何にも知らないようだったが、帝都によしみを通じた子爵家には、ヴジョー伯爵家は目の上のたんこぶだ。
この真新しい装束を見る限り、黒騎士は新神殿、つまりは宰相閣下の配下にあるんでしょう。それと同時に短剣は月の神の信徒のもので、長剣に帝都の太陽神殿の紋がある。その二つとも、この国の人間の持ち物らしくない」
「帝都帰りだそうだ」
ジャンがちらと遺骸のほうへ顔をむけた。
「すると、葬祭長エリス殿下のお供ってことですか?」
「かもしれないね」
「なんだか余計わからなくなりましたよ。それはそうと、オルフェ公子は?」
「ルネさまの話では、地下通路にいるらしい。もしかすると、地下牢の間違いかもしれないけれどね」
「この神殿騎士が宰相からの刺客だとしてお姫様まで奪われたのだとしたら、ヴジョー伯爵家は《死の女神》の神殿と戦うことになる。国が二つに割れますよ?
このカレルジ銀行頭取からの手紙といい、これは何かの時間稼ぎなのか……誰が、何を狙っているのか、俺にはわからない」
うつむいてひたすら自分の思考に沈み込もうとするジャンを前に、アンリが口にした。
「いずれにしても、首謀者探しに明け暮れる前に、わたしはやれるだけのことをするつもりだ」
「アンリさん?」
「万が一のことがあろうとも、ヴジョー伯爵たるあの方に相応しい名誉を」
それを耳にしたジャンが非難するように眉をつりあげてアンリに向き直った。
そこへ、私の到着が遅いと走りこんできた使者が廊下に広げられた長衣を見て足をとめた。アンリは自分の服についた血飛沫を目にして息を呑んだ使者の顔へ向け、鋭く言い放つ。
「奥方様にすぐさまこの都の館にお戻りになるよう伝えよ。われわれはエリゼ公国の正統なる後継者エリス姫を救出し、その首謀者を征伐する」
使者の応えにかぶるように、ジャンが声をあげた。
「ちょっと待てよ。征伐って、そんな大々的に兵を動かすなんてことしたら」
「子爵家や《死の女神》の神殿騎士たちの後手に回るより、われわれが挙兵することでこの都の安全は確保されると約束する」
「そんなの、あんたらの理屈でしかねえよっ。ただ単に、やられる前に相手を叩き潰せってことだ」
彼は使者へと待機するようにしめした。ジャンもそこで言葉をとめ、使者が庭園を抜けて歩み去るのを見送った。
「ジャン、君は間違っている。われわれはすでに出遅れた。この場合、それ以外にどんな方法があるのか教えてほしいね」
「暴力じゃなくて話し合いってのがあるはずだ」
「無駄だよ。君のいう『理屈』が違う。同じ席につかせることができても互いに同じ言葉を用いるという保障はない」
「そんな屁理屈こねても、誰が犯人か確かめもしないで怪しいものは排除するなら、あんたらはただの略奪者だ。なにが円卓の騎士の末裔だよっ、自分がやられる前にやっちまえなんて、偉ぶってもただの臆病者じゃねえか!」
アンリが右手を振りあげた。ジャンはびくりとして震えたが、覚悟を決めたかのように息を吐き、その場から動かなかった。私は、アンリがその手を打ち下ろすとは思わなかったが、ジャンは殴られると身構えていたようだ。
ジャンはいつまでも下りてこない手を不審そうに見あげ、続いてアンリの顔をうかがった。
「こういうときは逃げるものだ」
「アンリさん?」
「はじめの一撃が素手ならば、君は痛みを覚えるだけですむかもしれない。だが、いつもそうとは限らない。その一突きで、何もかもが失われることもある。戦争もそれと同じだ。何をどうしても取り戻せないものがある。
君の反骨心には敬服するが、命は大事にしたほうがいい」
「そうやって生きたって、大事なものが守れなくちゃ意味ないでしょうが」
「わたしが挑発にのらなかったのは、君が一過性の衝動的な暴力で命を絶たれるには惜しいと感じているからだ。意地を張る場所を間違えるなと教えてあげるのだから、素直にこちらの言うことを聞くといい」
「俺は、あんたらの郎党じゃない」
ジャンの肩を右手で掴みよせてアンリがいった。
「ジャン、だからこそ、君には一仕事してもらわないといけない」
「手紙の件なら」
「それは、後でいい」
「後じゃダメでしょうがっ、いったい」
「敵が誰かなんて関係ない。この国の全てを取ればいいだけだ。違うか?」
「……あんたらの理屈で言うなら、ちがわない。だが俺の理屈はそうじゃない」
「ジャン、理屈は力あるものしか行使できないようになっている。君はその事実からも目を背けられるか?」
ジャンはゆるゆると頭をふって、毒を食らわば皿までってやつか、とつぶやいた。
「いいでしょう。やりますよ。ただし、俺はこの街の秩序を守るためにしか働かない。あんた方のような騎士に武力制圧は止せと説いても無駄だってことくらい知ってます。でも、無用の殺人と略奪はナシだ」
「承知している」
ふたりの瞳が合い、頷きにかわった。
私はこの場から離れられず、ただ立ち尽くしている――