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歓びの野は死の色すのことを語る


「はなしをエリス姫の行方に戻しましょうか。
 姫様は古神殿から西へと連れ去られたものと思われます。今頃は、モーリア王国へ行けと脅迫されておいでのことでしょう」
 脅迫という言葉に眉を顰めた私を、彼は口の端を歪ませて見つめた。
「やんごとないご身分の方ですから手酷い真似はされていませんでしょう」
「己の意思によらず連れ去られてもか? 女戦士たちもいなくなっているのだぞ」
「もちろん、それは非道だと思ってます。だからこそ、救出すると申し上げているのですよ。こんなやり方が罷り通る国は健全とは言い難い。
 とはいえ、宰相とオルフェ殿下と貴族たち、それから商人組合、どの足並みも揃わないのですから国の纏まりようがない。
 なかでもわからないのは、オルフェ殿下です。何を考えておいでなのやら……」
「あの方は今、地下通路におりておいでのはずだ」
「地下通路? それまた珍妙な……。手勢も引き連れず、どうするおつもりなのでしょうねえ? まあ、そっちはわたしたちには手に負えないってことでおいておきます」
「アンリ、女戦士たちの動きは?」
 彼はそこで何故か楽しげに口の端をあげた。
「残念ながら、そちらも追えませんでした。女は幾らでも変装できますからね。我々家臣団にも今後いりようになりますよ。彼女たちの陽動作戦には大いに刺激を受けました。さすが皇女ともなると違うものですね」
「いつ気がついた?」
「いつって、横顔を見ればわかりますよ。皇帝にそっくりじゃないですか」
 思い浮かぶのは、あのむすめの持っていた両面とも渦巻き紋のおされた帝国金貨。本来なら皇帝陛下の横顔があるべきものを、あんな風におかしな代物を持ち歩くのは自分の出自が知れるのを恐れているのかとも思えた。
「アンリ、そうはいってもこの国のたいていの人間は皇帝陛下のご尊顔など知らないはずだ。それに、帝国金貨などそうそう拝めはしない」
「まあ、そうですね。我々は帝都帰りですから。
 そんなことより、もう一人の帝都帰りであらせられるエリス姫と、確たる約束をなさったのでしょうね?」
「やくそく?」
 はてと首を傾げた私に、アンリがいつになく真剣な顔つきで吠えた。
「結婚の約束ですよ! あなたってひとは、一晩いったい何やってたんですか?」
「いや、それが」
「結婚しないで同衾するのも恥ずべき行いですのに、その約束もせず未婚女性と夜をすごすなぞ、騎士として許されますでしょうか? それとも、女性のほうから呼び出され、据え膳も頂戴せず帰ってきたとでもいうおつもりですか? それはそれで貞操堅固で立派な騎士らしいお振る舞いですが、だとしたらわたしの本音は、あなたの側付をやめさせていただきたいくらい気持ち悪いですよ」
 そう言われると、返答に窮する他はない。黙ってしまった私に、アンリは深いため息をついてこちらを見やり、それから真顔にもどって問うた。
「薬でも使われましたか?」
「そのようだ」
「あちらのほうが一枚上手だということですね。情けないと申し上げたいところですが、《死の女神》への畏敬の念によって、それは言わないでおきましょう」
「アンリ、すでに口にしていると思うが」
「ご自身で十分に反省しておられるようですから罵倒するのは容赦してさしあげるというだけです。
 あなたの結婚相手として、エリス姫に不満がないとはいいません。家柄やご器量は望むべきもないほどですが、子供をぽろぽろ産みそうな安産型の、気のいい素直な女のほうがヴジョー伯爵家にとっては邪魔にならないでしょう。あの方は、この大陸に数えるほどしかいない公爵でもありますからね。扱いに困ります」
 私はアンリの暴言になんと返そうか悩んだ。家臣団の中にも、姫様が石女であるかもしれないと危惧する声がある。無論、そうであれば養子縁組でも何でも手段を講じることはできるのだが。
「そうは申しましても、あなたにはお似合いですよ。あのような方が」
 そこだけは、彼の本心と見えた。
「ありがとう。いや、すまないと言ったほうがいいのか……」
 アンリはいつものようにさばさばと、首をふった。
「わたしには、感謝も謝罪もいりませんよ。というより今はまだ結果が出ていないですからね。何しろエリス姫はモーリア王国に出立するお気持ちでしょう。無事お姫様を取り返しても、その先があります。
 それに、帝都からの花嫁行列の動向も気になります。レント共和国国境沿いで盗賊に襲われたというだけで、共和国内の葡萄酒商人たちに問い合わせても返答はないですからね。どこの貴族が皇女を匿っているのかさえ、わからない」
「アンリ、大砲のはなしは聞いたか?」
「いえ、それは何処からもあがってきていないです」 
「宰相のいうことを鵜呑みにすればだが、花嫁行列の怪我人は十数名、行方不明者が数名。盗賊たちを捕まえているのかどうかは謎だ。おそらくは行方不明者の中にサルヴァトーレという男がいるはずだ」
「《死神トト》と呼ばれる男ですか?」
「ああ」
「帝都に途轍もない溶鉱炉をつくったっていう話ですからね。なるほど、皇帝はこの国に自分の姪と大砲を下賜するつもりですか?」
「陛下ではなく、月の君の指図のようだがな」 
 そのときなって初めて、アンリの眉が顰められた。そして、どこか焦点のあわない瞳のままつぶやいた。
「それは……エリス姫を返せという要求ですか?」
「そのようだ」
 彼は私を見て、眉間を狭めた。
 私は、エリス姫の本当の愛人が誰であったのか、彼が長いこと知っていたのだと理解した。彼は私がそれに気がついたことで苦笑して、淡い金髪をかきあげて息を吐いた。疲れきったような、または重荷を下ろしたような、どちらとも言える顔つきだった。
「あなたは、思ったより落ち着いてますね」
「焦っても事態はよくなるわけではないからな」
「いい傾向です。すんでしまったことですしね。先に申し上げておきますが、わたしが隠していたわけでなく、あなたがお尋ねにならなかったのです」
「ああ。わかっている」
「本当に、わかっておいでですか?」
 彼の両目が眇められた。
「アンリ?」 
「あなたは十年前エリス姫を失ってから、ご自分をも見失っておいででした。そのうえ、この国の政に携わることを忌避しました。その結果が、この、葬祭長が誘拐され脅されるような、乱れきった有様です。今のあなたはこの国の大組合小組合の評議員が誰なのかも、新神殿に何を献納したのかさえ積極的に知ろうとしない。または国債発行額がいくらか、どの貴族の家に未婚のむすめがいるのかも、何もかもおわかりになっていない」 
 私の無言に、アンリが肩をすくめた。
「十年前にできておられたことができないのは、わたしたちが甘やかしたせいでもありますが、ルネさま、あなたはもうこの神殿から出るべきです。エリス姫との将来が約束されていなかろうと、モーリア国の王女と結婚することになろうと、あなたはここで暮らすことは許されない」
「アンリ、私は」
「もう十分恨みは晴らしたと思いませんか?
 あなたはあの方を奪っていった人々を恨んでないと? 
 行かせたご自分を憎んでいないと?
 もう、そんなことはやめましょうよ。
 あなたは昨夜、エリス姫を取り返されたはずです。それでまたあの方があなたから逃げていかれるのであれば、あなたはお引き止めするべきです」
「あの方が、行きたいというのにか?」
「ならば、共に行くべきです」