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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様
16

「大砲と交換されるのは癪に障るな」
 おれのつぶやきに、男は憎らしいくらいの勢いで今度こそ声をたてて笑った。それから、おれのすぐ前まで歩いてきた。
「葬祭長閣下、そろそろこちらの尋問におこたえしていただいてもよろしいですかね」
「こたえるかどうかはおれ次第だがな」
「拷問されないとお思いですかね」
 そう。月の君に引き渡されるのだとしたら、あの男がおれに傷をつけて赦すとは思えなかった。だが、
「爪を剥がしたり吊るして鞭打ったりしなくとも、拷問など幾らでもできますぜ」
「だろうな」
 おれだとて、そのくらいのことは知っていた。盥に張った水に頭をつけられるだけで、人間はかんたんに死ぬものだ。
「騎士団長、おれに何を喋らせたい」
「まずは、あなたがこの国に持参した帝国金貨の総数を」
「知らぬ」
「あなたが知らないはずはないでしょう」
「帳簿はおれではなく、女戦士がつけている」
「馬車いっぱいに、歯の折れるような金貨を山と積んできたって話ですが」
「それは噂だ。たしかに自分の全財産をこの国に持ち帰ってきたが、それは大方、亜麻糸の支払いや耕作地の買い取り、また商業組合や保障費、または賄賂、レースを編むことのできる修道女たちへ報酬などで費えた」
「あなたがそんな短期間だけに備えているとは思いませんね。この数ヶ月で使った金を少なくとも三年分、いや、十年分持っているとみな思ってますよ」
「……十年とは、欲の皮のつっぱった奴らだな」
「間を取って五年というくらいですか?」
 おれはその質問を無視した。葡萄酒と違い、レースは流動資産ではない。年による当たり外れのない分、堅実だ。すでに、レント共和国の中流貴族たちから好反応はきている。
 実をいえば、おれがいちばん金をつかったのは、帝都の黄金宮殿にいる女たちだ。その金は、表には出てこない。もっといえば、金だけでなくただならぬ神経を使った。
 いまは二流品しか紡げないが、彼女たちの後押しがあれば、帝都で名をあげることもかなうだろう。
 皇帝陛下がいくら奢侈禁止令を出そうとも、彼女たちを抑えつけることなどできやしない。それは歴史が証明している。そして、男たちはその後に続く。
「資産は、そなたらには手が出せぬよう仕組んである。おれでさえ、もう、手が出せぬからな。書類に名前を書かせようとも無理だ。カレルジ銀行を襲撃でもして奪ってくるのだな」
「本気にしますよ」
「するがいい。ただし、帝都の本店だ。おいそれと強奪できる場所ではないぞ」
 黒衣の男は考え深げに頭をひねる。そして一言。
「まあ、平時には無理でしょうな」
 おれは、この男が真剣に『平時』でないときを想像したことに身震いした。
 帝都が戦場になることを、今現在、そこに住む人間のいったい何人が考えたことがあるだろう。
 想像力は、それだけで力を持つ。
 モーリア王にそれだけの力があり、またその家臣にも同じだけの頭があれば、あの国はまっすぐに南へと向かうだけの力をすでにして蓄えていることになる。
 男は、おれの様子に肩をすくめ、続けた。
「それで、あなたが自由に動かせる金は幾らあるんですか?」
「おれは領土のない名ばかりの公爵だ。金があれば兄のお下がりを直して着たりしないで新しく誂えるくらいのことはする。侍女もおかず、食事さえ切り詰めて暮らしてきたのだぞ?」
「帝都で放蕩な淫婦と呼ばれ、湯水のように金をつかったあなたが言えばこそ哀れですが、一度の食事さえ覚束ない人間の前でそれを言われても困りますね」
 おれは羞恥に頬を染めた。たしかにそうだ。
「正直、俺はあなたの資産が幾らであろうと、気にならんのですよ。こんな尋問も実は面倒で仕方がない。
 だが、オルフェ殿下を始め、この国の貴族の男たちにとっちゃあ大問題だ。あなたは目立ちすぎた。金があり、地位があり、皇帝陛下の後ろ盾があると声高に言い、そのうえヴジョー伯爵と懇ろになっては、ようやくおさまりかけたこの国が治まらんとは思いませんか?」
「ほんとうに治まっているのか?」
「そう思わなければ、やっていかれんでしょう」
「オルフェがか?」
「いえ、この国の多くの男たちですよ。彼らにとってあなたは脅威だ。大人しく、伯爵の背に隠れていればこんな目に遭わずにすんだのですよ。あなたなら、表に出ず、裏で糸をひくことだってできたでしょうに」
「おれだとて、オトコというものは保守的だと知っているが、それでは間に合わんのだ」
「戦にですか?」
「飢えだよ。冬が来る前に、この国の東と西の不均衡を少しでも回復しておきたい。今年は雪が長く続くはずだ」
「それは、古神殿の統計で?」
「ああ」
「殿下には話さなかったと?」
「これ以上、オルフェの負担を増やしてどうなる」
「商人ばかり相手にして、あなたの勝手に公国貴族は顔を潰されたと思っていますよ。あなたがその綺麗な顔で、彼らに色目のひとつも使えばよかったのですよ」
 なるほど。ことばの意味は理解できた。
 おれは帰国してから悉く貴族社会に離反する行動をとり続けた。髪を切り男装し男言葉をつかって商人と取引をした。表立ってモノをつくり商売をする貴族なぞ、この国には誰もいない。せいぜいあっても葡萄酒販売くらいであろう。
 その結果、この国の貴族社会というやつに疎外されたわけだ。とすれば、もしもこの男の監視から逃れることができても、この先の街道でおれを救ってくれる領主がひとりもいないということだ。
 この国の西側はエリゼ公爵領でなく、もちろんヴジョー伯爵領でもない。神殿に逃げ込んだとしても、市門や水門を閉じられてしまえばそれまでだ。
 むろん、こうした反発を見込んで、帝都から自分の信頼できる女戦士たちを身辺警護につけたのだが……甘かったようだ。
「そなたはどうなのだ」
「どういう意味で?」
「アラン・ゾイゼ、そなたの本当の狙いはなんだ」
 唇に歪んだ笑みがうかんだ。
「そなたはおれが脅威だなどと思うほど愚かではあるまい。おれが金を持っていようが地位があろうが、ただの非力な女だと思うからこそ縛り上げもせなんだろう? でなければ、人質に傷をつけるわけにはいかず大事にしているだけだ。
 そなた、公国貴族たちからも金を受け取ったな?」
 おれがかまをかけると、男は破顔してこたえた。
「大した金額じゃありませんがね。成功報酬ってやつでさあね。あなたから金を引き出せればってことで、奴さんたちケチりましたよ」
「そなたは公国貴族たちにおれを殺せとは命じられていないはずだ。みな、おれが祟ると思っているから恐ろしくて殺せぬのさ。だが、そなたは違う。おれを殺すことなど恐れてはいない。かといって生かしておくのは「金」が入用なせいでもない。そして、大砲でさえ本当は欲しくないときては、何故おれを拉致し生かしておく」
「金は幾らあっても困りませんし、大砲は入用ですがね」
「たしかにな。だが、そなたがしたいのは昔ながらの戦争だ。違うか?」
「違いませんね。ただし、俺はオルフェ殿下に大砲を持ち帰ると約束してしまったんですよ」
「ならば、大砲を買う金を出すといえば、おれを解放するか?」
 男は顔を伏せて苦笑して聞いた。
「先ほど、金はないと言いましたよね」
「所持金はない。皇帝陛下に金を出させる」
「それは豪儀な話ですが帝国の台所事情は苦しいと聞きますぜ。出し渋りませんか」
「渋るようなら、末代まで呪ってやると言う」
 おれは自身のせりふに笑い、真剣な声でつづけた。
「モーリア王国とこの国が結託して困るのは他でもない帝国だ。オルフェが帝国とモーリア王国どちらにつくか態度を決めかね、ヴジョー伯爵とモーリア国の王女の結婚をすすめている今、おれが親帝国派であると誓うためにも《借金》は有効だろう」
「借金が信用になりますか? 踏み倒すってのもありますがね」
「陛下は貸した金に倍も利子をつけて回収することに長けた男だ」
「それはあなたも同じではありませんか?」
 おれが眉を潜めると、男が脅すような口調でいった。
「あなたは十年間のご奉公の見返りとして、皇帝陛下からこの国自体を下賜されたって話ですがね」
 やはりな。
 ひとの口に扉はたてられぬ。
「その知らせを運んだ密偵は、優秀な部類ではないな」
「何故」
「話の半分も伝わっていないからだ。おれはこの国などいらぬと言ってあるし、陛下もそれに納得しておいでだ」
「ほう。では、何が欲しいといったんですか?」
 男が腕をくんでこちらを見おろした。たぶん、その情報も伝わっているのだろうと思いながら、真実を話した。
「モーリア王国だよ。決まっておろう? 《死の女神》の教義を否定し、死後の世界に重きをおくあの国の民人を教化することこそが、おれの役目ではないか」
「本心ですか?」
「表向きはな」
 おれがほくそえむと、男は腕をおろし黒髪をかきやって息を吐いた。
「俺は、常々あなたがた宗教家のやり口が暴政を敷く僭主と変わらんと思うですが、そのへんはどうお考えで?」
「そなたの感性のほうがすこぶる正常であろう。だが、国を成り立たせるに守護神は有効だ。しかもおれはこの姿に生まれたのだから、存分に使わねば申し訳ない」
「だが、あなたには真実、女神の恩寵がない」
 その言葉は、おれの胸を鋭く衝いた。
「エリス姫、俺はあなたを生かすか殺すか決めかねている。
 月の君とやらにあなたを届けて大砲を受け取れば、たしかに殿下に対しての顔は立つ。また、この国の貴族たちも安堵するだろう。だが、あの方はきっとそれを死ぬほど後悔するし、何よりも、ヴジョー伯爵の叛乱も覚悟せんとならんでしょう。
 神殿騎士たちがあなたの側、つまり伯爵の側につけば、この国は割れる。俺は名ばかりの騎士団長で、この国に百とある各神殿の隊長たちを抑える自信はない。おそらくもう、副長あたりは独断であなたの救出のために動き出しているはずだ。このことが知れれば、俺だけでなく、オルフェ殿下の命さえ危ういかもしれない。
 また、あなたを稀代の淫婦だと罵って殺すのは簡単だ。殺すとすれば、モーリア王国の人間が下手人だとすればいい。実は、その手筈も整えてある」
 彼は顎をしゃくって、扉の外に顔をむけた。
「先日、レント共和国で《死の女神》の神殿を襲ったモーリア王国の騎士どもを連行してます。身代金をとって国に返す予定だが、逃げられたってことにして、あなたにけしかければどうなるでしょうね」
 おれが怯えた顔をしないので、男はつまらなさそうに続けた。
「士気はあがりますわな」
「戦争をしたくないオルフェは憤るだろうがな」
「悲しむとは思いませんか?」
 意味がわからずおれが首をかしげると、彼はゆるゆると頭をふって口にした。
「実の妹が酷い目にあって殺されれば、まずは悲しいと思うものじゃあありませんかねえ?」
 おれは、そういった男の顔を見つめながら口にした。
「まずは復讐と考えるのが男というものだと教わってきたが」
「ヴェンデッタ」
 気取った帝国発音に、おれは瞳を開いた。この男、先ほどの話といい、ただの傭兵上がりとは思えない。こうなってみると、オルフェが長い間そばにおいた故も理解できた。おれが手を尽くして過去を探れなかったのは、よほど隠しておきたいことがあるのだと見当をつけた。
「そうだ。女を強姦し殺した男は他の男の財産を奪い犯したから罰されるもので、女の苦しみによって罪を問われるものではない」
「だが、あなたはそれを見事に遂行してみせた」
 おれを見おろす顔に、この男が初めて見せる賞賛が浮かんでいた。
「何故、それを知っている。神殿騎士たちにもおれは固く口止めしたはずで……」
 そこまで口にして、おれはようやくにして気がついた。
「そなた、あの、ミレーヌの兄か……!?」
「半分しか血は繋がってませんが、その通りで」
 あなた方は似た兄妹だと彼がいった意味がよくわかった。
 ミレーヌは、蜂蜜色の金髪に灰色の目をした、華奢で壊れそうに細いむすめだった。この男とまるで似ていない。彼女はおれよりも年上で、帝都のことばを話せたゆえに侍女に選ばれた。
 しかし、あの事件のため、彼女は帝都で数ヶ月と暮らすことなく故郷に帰ることとなった。
「あなたは、犯人の男根を切り取ろうとした」
 強姦の刑罰として、去勢は軽いほうの部類だ。相手によっては死罪を問われる重犯罪と認識されている。
 ただし、誰もが被害の名乗りをあげるわけではないため、帝都でも刑の執行が行われることは滅多にない。
 少し調べただけで、その男に余罪があるとわかった。おれは、裁判も何もなくその男を罰すると決めた。
 百年前ならいざ知らず、私怨をはらすヴェンデッタを陛下が禁止しているとは知っていたが、おれはそれを断行した。
 正確にいえば、しようと試みた。
 しかしながらそれは黄金宮殿の衛兵の目にとまり、おれと二名の神殿騎士たちは皇帝陛下の御前へと隠密裏に引き出された。
 陛下は寝いりばなを起こされ不機嫌な顔で見おろしたが、おれが逃げも隠れもせずに処罰を受ける覚悟でいると口にしたとたん、声をたてて笑った。
 公国に害が及ぶとは思わなかったかと問われ、おれは反論した。
 わたくしの侍女がこの国の男に襲われたのです。民人を守れず、何が国家ですか。帝国がわが民を守らぬと仰せなら、帝国から離反する所存です。
 陛下は琥珀の瞳を輝かせておれを見た。
 エリス姫、威勢のいいことを言うが、そなたがしようとしたことが広まれば、そなたもそのむすめと同じ目に遭うとは考えなかったのか?
 その問いには用意していたこたえがあった。
 徳高き太陽神の末裔の住まいますこの黄金宮殿で、後ろ暗きこと行われているとお認めになられますか?
 エリス姫、それをひとは脅迫というのだ。
 苦々しい断罪に、おれは膝が震えるのを押し殺し、嫣然と笑って返す。
 わたくしは北方の小国に生まれた十二歳の小娘でございます。この地上でもっとも偉大な方の御力を頼りにすることがあればこそ、脅すことなどできましょうか。
 それを聞いた陛下はあごをそらして高らかに笑い、近衛兵隊長に小声でひとことふたこと告げて、おれたちを解放した。一方、犯人は下穿きを濡らしたまま何処へか消えた。たぶん、近衛兵に抹殺されたのであろう。
 おれは命永らえ、皇帝陛下と月の君の庇護下にはいった。
「ミレーヌは、息災なのか?」
 おれの問いに、男は肩をすくめてみせた。そうして黙ったままなので、おれは声を高くした。
「彼女は今、どうしている」
「どうもこうもしませんよ。いわれるままに結婚し、何人か子供を生んで、うち一人しか無事育たず、亭主には先立たれ、それでもあなたに感謝してるようですね」
 それは、貴族のむすめに生まれたとしても、当たり前の人生かもしれない。だが、おれは口をつぐんだまま、相手のことばの続きを待った。
「あなたは彼女に城勤めをした際の年金の世話までしてやった。そのうえで、身分もまずまずの亭主も用意してやり、事件のことも秘密にした。ミレーヌは寡婦になりましたが金にも困らず、子供もいて満足だそうですよ。ご心配なく」
 おれは、男のいう言葉の意味がよく理解できなかった。先ほど垣間見た賛辞はその面からとうに消え去っていた。
「ミレーヌは、その……幸せではないのか?」
 愚かなことを口にしたという自覚はある。だが、おれには、はるばる帝都まで連れて行ったあのむすめを守りきれなかった後悔があった。
「俺はあいつが幸福かどうかなんて知りませんよ。きょうだいとはいえ、他人が決められるもんじゃありませんしね」
「それはそうだが」
「エリス姫、あなたは自分のできる最大限のことをした。俺は、あいつの名誉と生活を守ろうとしてくれたあなただから、生かしておきたいとも思う。だが、それと同時に、あなたさえこの国に戻ってこなければ、オルフェ殿下は変わらずにいてくださったとも思うんですよ」
「オルフェが……」
「ようやく出来た兄君の記憶が薄れきたかと思えばあんな目立つ女戦士たちを引き連れてあなたが帰り、神殿の改革などに手をつけて、大組合小組合を巻き込んでの大騒ぎだ。そのうえヴジョー伯爵と噂になり、かつての悲恋をひとびとに思い起こさせて女どもを味方にした。
 オルフェ殿下が地道につくりあげてきたこの国を、たったの数ヶ月でいともやすやすと変えてしまう、あなたに備わったその力が、俺は邪魔なんですよ」
 おれは、頤をあげてそう述べた相手の顔を見た。