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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様
13

「エリス姫」
 男の声に振り返ると、松明の火に見覚えのある姿が浮かび上がる。
 ばさりと漆黒の長いマントを翻す音が聞こえよがしに響き渡り、その黒衣がしめす身分を明らかにした。 
「アラン・ゾイゼ騎士団長」
「名前を覚えていただいていたとは光栄ですね」
 薄ら笑いに視線をはずし、本来なら、レント共和国までオルフェの妻となる帝国の姫君を迎えにいっているはずの男をおれはもう一度、頭をたたせて睨みつけた。
 すると、松明を持った男はむずとおれの腕をつかんで寝台へと押し倒した。
 身をよじって逃れようとすると、男の手が髪をつかむ。
 おれは次に訪れる暴虐に総毛だった。
「なにをっ」
 炎が髪を焼いた。
 なんともいえない臭気と未だ頬のすぐ横にかざされたままの熱に悲鳴を堪えるのが精一杯だった。
「……さすがに気丈でいらっしゃる。それとも、自ら御髪を切ったそうなので、このくらいでは取り乱さないってわけですかね?」
 唇を歪めて男が笑った。
 男のことばと裏腹に、おれは無様に震えていた。冷や汗が全身を濡らし、歯の根があわず、荒く、頼りない息に肩が揺れた。
「たいていの女はこれで大人しくなるものです」
「……《死の女神》の神殿騎士ともあろうものが、女を脅して髪を焼いたと?」
「ギャアギャア煩いのは嫌いでね。髪は伸びるが殴れば傷がつく。せっかくの美貌だ、台無しにしたくはないでしょう」
 悪びれない顔でいいながら、松明は去っていかなかった。
「あなたは俺の顔をうかがう余裕がある。大したものだ」
 顔の前に掲げられた炎の熱に呼吸が荒く乱れた。
瞳がどこにも定まらず、炎と縮れた髪の筋、そして男の顔を行き来した。目を閉じることだけはするものかと唇をかみ、話をするということは殺されるには間があると気を落ち着かせ、知りたいことを問う。
「おれと一緒にいた女戦士たちは?」
「魚の餌になってるころでしょうね」
 男の口調には違和感があった。こちらをからかうような皮肉っぽい笑みが浮かんでいる。松明はおれの顔から遠くはなれ、相手はこちらの表情を存分に眺めている。
「あの位置で流せばすぐにあがるぞ」
 かまをかけると、男が声をたてて笑った。この国ではひとがいなくなって河をさらうのはまず始めにすることだ。もっとも、そうやって遺骸のあがることはままあるが、犯人を捕まえることは難しい。
「ああ、そういう話がありましたね。何代か前のご領主は、不貞な妻を殺して河に流し、狩猟の館ちかくの岸辺で水を飲んで『再会』するっていう」
「それは実話だ」
「へえ、それはまた……」
 馬乗りになったままの男がしげしげとおれの顔を見おろした。
「彼女たちは生きているな?」
「今のところは」
 そのこたえが正しいだろうと思った。
 おれの瞳が自分から離れたことで、男が苦笑した。
「驚いてはいないようですね」
「いや、驚いているさ。己の読みの甘さにな」
 そのこたえに男は苦笑した。
 事実、神殿から強奪されるとは予想外のことだった。読みが甘かったとしかいいようがない。
 気に掛けてはいたのだ。
 新神殿には密偵もおくったが、あまり役には立たなかった。
 身分が低すぎたしあまりにも若すぎた。おかげで怪しまれた感はないが、せいぜい彼らの行動予定を把握できた程度で、神殿内部には入り込めなかった。
 ただし、おれが自身で古神殿の資料を調べた限り、帳簿から組織再編の流れから、なにもかも整然としすぎていた。すぐにすべてを奪われたので、たしかなことはいえぬのだが。
 逆にいえば、だからこそ疑いを濃くしてもよかったのだ。
 わが兄と、神殿騎士の関係を。
 そこに不正のあることを。