細かな文様
11
目がさめて、さいしょに気がついたのは饐えた汗の臭いだった。黄ばんだ埃まみれの亜麻の敷布に頬があたっていて、おれはぞっとする思いで頭をおこした。
後ろ手に縛られて寝かされていたのはまがりなりにも寝台で、服は男物のままで、乱れてはいない。ただし、腰の短剣は吊り帯ごと奪われていた。隠しの財布もない。
おれがはじめに感じたのは不安でも恐怖でもなく、凄まじいまでの憤りだった。
危うく声をあげてしまいそうなほどの瞋恚に荒くなった呼吸をおさえ、じっと耐えた。
口を緘されていなかったということは、声をあげれば助けがくるわけではないということか。
虜囚の辱めを受けるのは何もこれが初めてというわけではない。
おれはそう思うことで自分を立て直した。
拳を当てられたみぞおちがキリキリ痛み、吐き気に襲われながら頭をめぐらすと、窓の隙間からもれる光の筋に埃が舞っているのが見えた。
幾重にも板を渡された窓枠はどうやら古いものではない。以前はきちんと鎧戸があったようだ。
おれは木の床に靴をおろし、立ち上がって周囲を見渡した。
乱雑に木を打ちつけたままの窓、太い梁の出た木組み天井と見て、化粧仕上げもしていないむき出しの煉瓦壁に目をとられたが、牢獄というふうではない。
うち捨てられた民家だろうか。
いや、それなりの分限者の家、しかも女の部屋だ。
蓋のあいたままの長持ちの外側には化粧飾りがしてあったが、中身があるとは思われなかった。
女戦士たちの姿のないことが不安を煽った。
おれが生きていることが彼女たちの命の保障になるとも思えず、ただ無事を祈るしかない己に憤りがました。
気を落ち着けると、湿った水の匂いがした。河がそばに住むことになれていたころはさほど気にならなかったが、帝都で10年すごすうちに、おれは水の匂いを忘れた。
だが、これは間違いなく、ぬるんだ緩やかな流れのすぐそばのものだ。
そうしてみると、耳を澄まして聞こえるのはせせらぎだ。
河の音ではなく、細い用水路。
とすれば、ここは城館並みに広い屋敷だ。
エリゼ公国には二本の河が流れている。
ひとつは南に。ひとつは西に。
もしこれが、西へと流れている河ならば、行き先はモーリア王国になる。
南ならばレント共和国、またはさらに先の帝都ということになろう。
窓のわずかな隙間からのぞいて瞳にうつるのは、鬱蒼とした樹木。森と呼べばいいのかただの防風林なのか、これだけでは検討がつかない。
せめて神殿の姿なり見えれば、どの町かわかるのだが手がかりはない。
理解できるのは、容易に脱出不可能だということだけか。
おれの目は自然、部屋の入り口にある扉へとむいた。
今のところ、ひとのいる気配はない。
それから、自分の手首を縛るのが絹であると察した。すぐにも痛めつけられる可能性は低いと断じ、手首の戒めは時間をかければ解けるようだとも確信した。
解いてみろといわんばかりのやり口だ。その、相手が絶対の優位にあるといいたげな仕打ちに嫌気がさした。
おれはひとまず寝台に腰かけて、頭を整理することにした。
むろん、このしゃらくさい戒めをときながらだ。
さて。
襲撃者の顔には見覚えがなかった。おれには瞬きする合間のことで、とすれば彼らは古神殿内部へ通じる道を知ってあらかじめ身を隠していたということになる。
周到な準備とまではいかずとも、計画的な犯行だ。
おれはどうやら「神殿関係者」に拉致されたようだった。
ならばしばらく命永らえる可能性はある。
そう考えたと同時に、生かされたということは拷問されて死ぬ確率は高いとも冷静に思う。さすがに恐ろしくないとはいえないが、覚悟はしておいたほうがいい。
ただし、敵はなかなか鄭重におれを扱っているらしく、よくよく見ると、寝台の影には手水の用意がある。用足しには困らないと気づき、だいぶ気持ちが楽になった。
おれは緩まった紐をそのままにして立ち上がり、長持ちの中をのぞいた。
そこには見るからにかたそうなパンと、革袋がおさめてあった。
毒が入っているとも思えない。腹はすいていないし胃も悲鳴をあげていたが、これは今のうちに頂戴しておくべきだろう。
窓枠をふさぐ木の板に手首を押し付け、その突起に布を引っ掛けた。幸いなことにすぐに絹の裂ける音がした。用心深く上下にこすりあげると、たいした時間もかからずに解かれた。
一息ついて拾い上げてみると、頭にかぶるヴェールだった。
端にあるレースに目を凝らさないとわからないほど丁寧な繕いのあるのを見て取って、二度と使えないほど裂いてしまって悪かったと感じた。
おれはその布のしわを伸ばしてきちんと畳み膝にのせ、虜囚の身であることをしばし忘れた。
いま、まだ生きている。
おれは五体満足で、考える力も奪われてはいない。
ならば、希望は必ずある。