細かな文様
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「これは、オルフェ殿下宛てでは?」
「封蝋に見覚えがありませんか?」
私は、それがあの方個人の紋章かと思っていたが、違った。
その表情をよんだ宰相が、断じた。
「モーリア王国首都のカレルジ銀行支店長の印です」
「ええ、知っています」
カレルジ銀行――この大陸でもっとも著名でもっとも富裕な一族の有する銀行だった。
「それからこちらも」
もう一通もまたカレルジ銀行のもので、封が開いていた。しかも帝都の本店の頭取印ではあるらしいが、それは私の知らない紋章だった。
そして、そのときになって初めて、私は帝都のカレルジ銀行の頭取があの方――月の君――ではないことに気がついた。
宰相は私の表情の変化をみとめ、説明した。
「そちらは、この国に新しく赴任する人物の庇護を仰ぎたいというお願い状です」
「中を検めたのですか?」
「オルフェ殿下から許可はもらってあります。どうぞ」
促され、高価な紋章入りの紙に目を走らせてすぐ、私はある人物の名前に息をのんだ。
「《死神トト》、なぜ彼が……」
「何者ですか?」
サルヴァトーレの異名をつぶやいた私に問いかけるその顔つきは、周知のことを確かめる風情であった。帝都の《死の女神》の神殿から激しく糾弾された男の名を、ゾイゼ大神官が知らないはずはなかった。
けれど私は恭順の意を示して、質問にこたえた。
「一言でいえば、天才でしょうね。未来からきたという噂が立つほどでした」
「会ったことは」
「幾度かあいさつを交わした程度です」
オルフェ殿下の妻となられる皇族の姫君に付き従い、彼らはこの国にやってくる予定だという。
「そのサルヴァトーレという男が遺骸を切り刻んでいたという件は真実ですか?」
「ええ」
「いま、あなたは何故とおっしゃいましたね。それはどのような理由ですか?」
「サルヴァトーレは帝都で女神の神殿から冒涜者と呼ばれて非難されていました。ならば、この国へ来るなど危険なので避けるのではないかと思ったのです」
「誤解があるようですが、われわれの神殿はその者を排斥し、いえ、つまり殺そうとしてなどいませんがな」
私は自分の言葉足らずを釈明しようとしたが、宰相はそれも理解していたようで先回りして首肯した。
「まあ、どこにでも血気に逸った神殿騎士がいないとは限りませんからな。おっしゃることはもっともです。
ですがその男、銀行家という職務につくような人物ですかな?」
宰相の言い分はおそらく……。
「何か、密命があると?」
「そうですな」
瞳がかち合い、宰相が厚い唇をいったん結んでから口にした。
「今朝、この国に届いた知らせは、レント共和国内のわが国との国境沿いで帝国の姫君の行列を盗賊が襲ったという事実です」
「被害は」
「姫君は無事。こちらの怪我人は十数名。ただし、行方不明者が数名いる」
「そのなかにサルヴァトーレが?」
宰相は首をすくめるようにしてから頭を左右にふり、ついで両手を広げ、太い息を吐いてから肩を落としてこたえた。
「いや、まだ、実のところそこまではわかっていない。だが、私はそう考えているのですよ」
先ほどトマという若者から手渡された紙片にあった単語が頭をよぎる。
そこにあったのは、「大砲」という言葉だ。
奇怪なからくりを作っていたサルヴァトーレという人物と、それはすぐにも繋がった。
大砲と、エリス姫の交換……。