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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 礼拝堂にいたのは宰相だけではなかった。
 その御付がふたりと、そして、侍女に付き添われた母がいた。
 記憶にある限り、彼女の風貌は変わらない。褐色の髪を高々と結い上げて鮮やかな孔雀色の衣装に包まれたすらりとした肢体は、私より若い女性だといっても通用するだろう。
 そして、相対するとさらに若く、子供を生んだ女のようには決して見えないのだが、それは息子である私からはとてもではないが、口に出せることではなかった。
 彼女はゆっくりとした足取りでこちらへと進み、私を見あげた。いかにも気の強そうに斜めをむいた眉がただごとならぬ憤怒を露にし、私は危うく腰が引けそうになった。
「ルネ、そこに屈みなさい」
 片膝をついたと同時に頬に熱が弾けた。容赦ない平手打ちの音に御付の若いほうがびくりと肩をうごめかし、あわてて姿勢を正していた。
「あなたがぼやぼやしてるから、こんな結果になるのです」
「恐れながら」
「言い訳はしない」
「申し訳ありません」
「頭をさげる相手が違います。あなたってひとはほんと、ここぞというときに頼りにならないのですから」
 エリス姫に頼りにされず、お守りすることさえかなわなかった我が身を想うと、母のことばは私の胸を深く刺した。
 私は乱れた髪をふりはらいながら、宰相閣下とその御付の神官たちをうかがった。侍女たちは慣れたものだろうが、御付の彼らはいたたまれない表情で頭をあらぬほうへ巡らしていた。一方、礼節に満ちて、平らかな顔そのものの無表情をうかべていた宰相は、重々しい声で次の母のことばを遮った。
「お怒りはごもっともですが、伯爵にも名誉挽回の機会はございますよ」
 ゾイゼ宰相は目顔で私を立ち上がらせた。
 これで彼のいうことを聞かなければならなくなったことを懼れながら、私は膝をおこして先に問うべきことを問うた。
「早朝、宰相閣下には火急の用事が飛び込んだとのお話ですが」
「知らされていないのですか?」
「ええ……」
 昼から軟禁されていたのだから致し方ないが、母と彼は互いに顔を見合わせた。
「伯爵、こちらから質問ですが、あの女戦士の姫君が皇族だとあなたはいつ知ったのですか?」
 予期されたことだが、どうやらこれは尋問のようだ。私はこの場では沈黙を守ろうと決めていた。察しが悪いのは生まれつきだが、私には、いったい誰が敵なのか味方なのか、すでに判別できなかったからだ。
「閣下、エリス姫救出部隊は動いているのですか?」
「ルネ、宰相閣下の質問にこたえなさい」
 母の鋭い叱責に、ゾイゼはゆるゆると頭をふってこたえた。
「かまいませんよ。伯夫人、恐れながらいったんご退出願ってもよろしいでしょうか」
 彼女は私の顔を瞳にうつし、それから宰相をみて、しずかに頷いた。侍女たちだけでなく御付もさがり、完全な密室になってから宰相は口をひらいた。
「伯爵、あなたは帝国にいかほど暮らしましたかな?」
「三年です」
「その間に、あちらに知己もできましたでしょう」
 私とアレクサンドラ姫が謀を巡らすと考えているのだろうか? たしかに、私は今日、彼女に付き添われてこの街に帰ってきた。しかし、当時、生まれたばかりのアレクサンドラ姫と私の面識があるわけがない。
 そう考えて、私はずっと打ち消したいと願ってきたある事実に思い当たる。
「まさか、あの方が……」
「伯爵、あの方とは?」
 宰相の詰問に、私は口を閉じた。彼は私の顔を斜めにみて、両手を後ろにくんで窓の外を見るようにして靴音を響かせて歩みだした。
「お互い腹をわって話しましょうかね。日の神の神官殿」