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歓びの野は死の色すのことを語る

細かな文様

 地下牢に押し込められた私に黒騎士たちは同情の視線をくれたが、ことばをかけるような愚かな真似はしなかった。
 鉄柵の閉まる音を背後に聞き、排泄物の臭いのする暗く湿った場所を見渡して、どこの城もこういう処は同じようなものだと息を吐いた。
 いや、拷問道具など置かれていない分、わが城のほうが剣呑だ。
 独房であることと枷を嵌められたわけではないこと、それだけでも随分と寛大な処置といえるだろう。
 エリス姫……。
 闇の支配者たる女神の娘。
 私は、オルフェ殿下が姫さまの行方を察しているに違いないと考えていた。
 万が一、そうでないとしたら……
 否、女神の寵愛深き方にはなんの間違いもあるはずがない。
 そうでも考えなければ、正気を失ってしまいそうだった。
 それから私は石造りの寝台に横になり、エリス姫帰国から今までの日々の記憶を辿った。整理すべきことがありすぎた。すると自分がいかに多くの物事を見失っていたのか気づき、それゆえに今回の事件が起こったのであろうと思えた。
 私の勾留は、オルフェ殿下のご意向だ。
 あの怜悧にして勇敢な赤毛の姫君のいうとおり、私は他の誰でもなくオルフェ殿下にこそ忠誠を尽くさねばならなかったのを、エリス姫にばかりこころを傾けた。
 私はきっと、こころの奥底では、姫さまがこの国の国主になればいいと、そんなふうに思っていたに違いない。
 殿下のご尽力の何もかもを認めようとせず、ただ自分の希望だけをあらわに振舞ったのだ。ご不興を被っても致し方ない。
 私はオルフェ殿下のお出ましになることを祈っていた。
 はるか頭上にある明り取りを仰ぎみたかぎりでは、まだ日は暮れていない。
 はたして、待ち人は来るだろうか。
 また私はエリゼ公国の都には広大な地下都市があるというあのまことしやかな伝説を、父が昔かたってくれた物語を思い出した。
 偉大な皇帝ユスタスの狂気という噂もあった一方、父はまた別の解釈をしていたようだ。
 それが何であったか思い出そうとした瞬間、いくつかの足音に気をとられた。
 耳をすまし、それが自分の知る人物、いま私が待ち望む方ではないと気づいて私は落胆した。規則正しく階段を踏みしめておりてくる足音は三人分。おそらくは、騎士のものだろう。尋問ではなく拷問かもしれないと覚悟して目を閉じた。
「ヴジョー伯爵」
 呼びかけの声に続く鍵の開く音に跳ね起きると、真ん中にいたがっしりした体躯の四十絡みの男は、値踏みする視線で私を見た。
「私は開放されたのですか?」
 黒衣の騎士三名がそれぞれ何ともいえない表情をした。
 中央の人物が神殿騎士の副長であると気づき、嫌な予感をおぼえた。
「いえ、宰相閣下から礼拝堂へお連れするようにと承りました」
「殿下は?」
 その質問は無視され、彼らは私を独房から追い立てた。
 三対一。
 ふいをつけばこの場は逃げられるかもしれないが、この城から無事に脱出するのは不可能だろう。それだけではない。私は自分が土竜にでもなったように、ことの次第の何もかもが見えていなかった。
 階段をのぼる途中、私の後ろについた若い騎士が小声で囁いた。
「エミールがお世話になっています」
 太陽神殿の神官見習いである少年の名に振り返ると、彼は邪気のない笑顔をみせた。先ほど、古神殿で私の手紙を手にしたものだった。
「トマと申します。エミールの従兄です。彼は子爵家の長子ですが」
 翳りもなく言いのけたその顔の、目許とそばかすの散った細く形のいい鼻梁のあたりに面影があった。
「伯爵のお帰りが遅いと気にしてました。安心するよう、使いを出してあります」
 トマの言葉を、彼らは黙って聞き過ごした。彼は、咎めだてされやしまいかと心配した私に笑窪をみせる。了解を取ったうえの言だったのだ。
 彼らは私の身が安全だと述べている。
 しかし、エリス姫のそれこそが問題なのだ。
「捜索隊は手配されたのですか?」
 私の問いには、先頭をいく副騎士団長が首をまわした。
「殿下から待機の命令が出ていますので、我らは動けません」
 思わず足を止めると、私の背中に少年の頭がぶつかった。
「す、すみませんっ」
「殿下とアラン団長が怪しいと、私は踏んでます」
 同時に聞こえたことばは、狭い階段にこだました。副長の顔を見据えると、彼は顔を前にもどして世間話でもするような口調で続けた。
「宰相閣下に許可をいただけると有難いです」
「努力する」
 かたく頷いたのを、彼は見届けもしなかった。かわりに背中にいた少年が、申し訳ありませんでした、と謝罪しながら私の手に何かをしのばせ、口の前に指を立てた。
 瞳を見交わし、私はすぐにそれを隠しへ入れて前をむいた。