期待は自分が期待するものを知らず、破壊する。期待はなにも期待しない。
詩の言葉においては、諸存在が口をつぐんでいるという事実が、表現されるのだ。
直接的な言葉とは、実際上、おそらくは、直接的な世界との関係だろう、直接われわれが触れるほどわれわれに近いもの、われわれの近辺との関係だろう、だが、共通的な言葉が伝えるこの直接的なものとは、覆いかくされた遠方に他ならぬ
言葉は、自らのうちに、おのれを包みかくす契機を有している。
言語とは、世界のなかで行動したり、世界のなかに立ち現れたりするために人間が思いのままに扱う道具だ、と考えるのは誤りである。言語が人間に世界の存在と世界のなかでの人間の存在とを保証するという点で、実際は、言語が人間を思いのままに扱っているのだ。
あまりに名高く繰り返し語られてきたヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という教えは、そう言表した彼自身が自分に沈黙を課すことができなかった以上、決定的に口を閉ざすためにこそ語る必要があるのだということを指示していると受けとるべきだろう。
書物のふちで、書物の外部で書くこと。
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