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歓びの野は死の色すのことを語る


 ぼくが微笑むと、赤毛の姫君は不審そうに眉をひそめた。
「話す前に、ひとつ、お願いがあるのですが」
「なに?」
「ぼくのような無能者を次期国主にいただかなければならなかったこの国の者たちを哀れと思い、ぼくの不手際は公表しないでほしいのです」
「それは、はなしを聞いてから判断するよ」
「では、お話いたしません」
 ぼくが拒否すると、姫君の剣が喉許へとうつった。
「あなたには拒絶する権利はない。あたしが帝国の姫と知れた今、あたしの言葉は陛下のそれと同じと考えるといい」
 ぼくはようやく望んでいた言葉を授けられて、抵抗をやめた。
 帝国領エリゼ公国の次期領主としては、その言に逆らえるものではないからだ。
 ぼくの身体から力が抜けたことを了承の意と察して、姫君は口調をかえた。
「エリスを救いたくないの?」
「わかりません」
「わからない?」
「ええ。ぼくはずっと、エリスが生まれたときから彼女のことが好きでした。ほんとうに、ぼくの命より大事に思っていました。でも、エリスが帝都留学をかわるといったとき以来、ぼくは彼女が大嫌いになりました」
「なっ……だって、そんな……」
 混乱して首をふる若いむすめに、ぼくは笑った。
「ぼくは、帝都に行きたかったのです」
「え」
「ぼくを必要だと、人質として価値があると認めてくれた陛下のおそばにあがりたいと思っていました。ぼくがエリゼ公爵家に生まれたことに意味を見出してくれたのは、この国の人間でなく、皇帝陛下でした。
 自分にしかできないことがあるというのはとても有難いものですし、ぼくはそれで死んでもちっともかまわなかったのです。どうせいつか死ぬのですから、自分のしたいことをして死んだほうがいいではないですか。
 それなのに、この国の誰もがぼくを押しとどめたのです。ぼくの希望さえ聞かず、ぼくが行きたいと口に出す前に、すべては決められてしまったのですよ。
 みなの善意と思いやりという傲慢の前に、ぼくは黙して自分を呪いました。
 それから、なんの期待もされていないのだと思い定めて、それらしく振舞うことにしたのです」
「それは……」
 姫君は、彼女らしくない狼狽につつまれて眉をよせて、細い息をはいた。
 ぼくはその小さな顔を見つめながら続けた。
「ぼくは、せめてぼくの前だけでもいいから、ルネなりエリスなりが、不満を漏らしてくれないかと願っていました。ぼくのせいでと一言でも罵ってくれれば、ぼくは自分の気持ちを吐き出せたのに、彼らは何も言いませんでした。ぼくに謝らせてくれる機会さえ、彼らは与えてくれませんでした」
「だからといって」
「ええ、ぼくがエリスを売ったのは、そのこととは全く別の用件です。
 実は、貴女の依頼主、つまりエリスの元愛人が、ぼくに大砲を買ってくれるといいました」
 アレクサンドラ姫が物思わしげな顔つきで僕をみて口にした。
「大砲の使用は禁じられたはず」
 皇帝陛下が太陽神の末裔、もしくはその生まれ変わりであると信じる人間にとってはその命令に意味があるだろう。しかしながら、まるきり神を異なるモーリア王国にあっては、そんなものは脅しにもならない。
 だからぼくは、宗旨替えすることにした。
 ぼくは太陽神など信じない。
 もちろん、その生みの母にして恋人たる死の女神さえ、信じない。
「帝国軍を、こちらに常駐させるとお約束くださるなら、返却しましょう」
「あたしにはそんな権限はない」
「ないのであれば、エリスがこのまま連れ去られるだけのことです」
「エリスの命が惜しくないの?」
「殺されることはないでしょう。それに、彼女が十年前にこの街をはなれたのは帝国へ忠誠を誓う道具にされたゆえです。エリスはすすんでその役を引き受けました。 今回も、それと同じことではないですか?」
 姫君は反論できずに唇をかんだ。それから顔をあげ、ほとんどつぶやくようにして問うた。
「この国が大砲を所持したとして、戦争に勝てるとも、また相手への脅しになるとも限らないだろうに……」
「敵が強力な武器をもっているとして、それを己も所持したいと願わずにいられるものなどいないでしょう」
「それは単にものの道理であって、人間の叡智とはいえないけどね」
「そんなもの、この世にあったためしがあるのですか? でしたらぼくの命が尽きる前に是非とも教えてほしいですね」
 ぼくの真顔の反論に、彼女は笑った。
 そうして、ぼくに突きつけていた短剣をおろし、鞘におさめた。