線
6
ぼくはいったん城に戻って、態勢をととのえることにした。
自室に引きこもり、卓上に地図を広げながら、自分の足下にルネが繋がれているかと思うとひそかな愉悦をおぼえた。
とはいえそれもつかの間のことで、すぐに不安が押し寄せて息があがった。
この先、ぼくは一体どうすればいいのだろう。
実のところ、エリスは一人にされたわけではない。
エリスを菫の家から付き添って送ってきた二人の女戦士は、古神殿の裏手で捕縛した。今は城の地下牢ではなく、ある場所に縛って転がしてある。少々怪我はしているが、死に至るほどではない。
殺して河に投げ込むという手もあるだろうが、彼女たちには証言してもらわねばならないので、ことが収まったらきちんと救出する予定だ。
当初、ぼくは女戦士たちにこの『エリス誘拐』の罪を負わせようとしていた。
ルネの手紙を運んできた女戦士は市門で捕らえて地下牢におさめた。
手荒な真似はしていない。
この手のことに慣れているらしく、その女戦士は余計なことを口にせず、事態をうかがうように息を詰めていた。
他に2名、アレクサンドラ姫と伯爵と一緒にこの街に戻ってきた女戦士がいる。
彼女たちは先ほど古神殿の宿坊に閉じこめた。
これで、5名。
厄介なのは、その他の女戦士たちだった。
古神殿についてきた彼女たちは、アレクサンドラ姫をのぞいて12名のはずだ。
ところが、聞き込みを続けているうちに、数日前からひとり、またひとりと行方をくらましていたことがわかった。
そしてまた、今日の異変があると知るや、残っていた女戦士たちは全員、煙のように姿をけした。
荷物は宿坊に残ったままで、長剣さえ未練もないように置き去りにされていた。つまり、彼女たちはあのどうやっても人目に立つ揃いの革甲冑を脱いで、女物の服を着て出て行ったのだ……。
おそらくは、神殿の礼拝者にまぎれ、時を前後してばらばらに去ったのだろう。
そのあまりに見事な撤収ぶりに、ぼくは正直、感嘆した。
この分なら、アレクサンドラ姫は無事に逃げおおせるに違いない。
否。
逃げるという言葉は、あの炎のような娘にはとうてい似合わない。
あのむすめは、ぼくの企みに気がついた可能性がある。
とすれば、彼女は容赦なく反撃してくるだろう。
そう考えて、ぼくは何故だかうれしくなった。
誠実で誇り高いルネには、ぼくの気持ちは理解できないだろうと思っていた。
また、常に自分を犠牲にすることを厭わないエリスにも、本心を晒すことができないでいた。
けれど、あのむすめならば、もしかすると、ぼくのしようとすることに共感してくれるかもしれない。それを単純にうれしいと思う自分の心持ちが、ぼくにはおかしかった。
あの姫君が行く場所の検討はついている。市門を出ていった形跡はないし、立て篭もるとしたら、あそこしかない。
衛兵に中を革めさせることもできるが、今はそれをしないほうがいいだろう。
あの貴婦人は、性根が据わっている。
下手に手を出せば、ただでさえ痛む腹に容赦なく手を突っ込んで掻き回されるにちがいない。
それに、レント共和国に派遣する使者としてもっとも相応しいのはあの帝都生まれの貴婦人だけだ。
こんな無謀なことを企むことになってしまったのは、何もかも、アラン・ゾイゼの失策と裏切りによる。
いや、もしかすると彼にとってそれは成功と忠誠の証であるのかもしれず、またはその結果のもたらすところによっては彼自身の野望の充足であるともいえた。
いずれにしても、その判断はぼくにも下しようがない。
なんとなれば、ぼくの将来でさえ、今はもう、あの男の手の内に握られているのだ。
エリス。
いま、ぼくと妹をつなぐ線は限りなく細い。
ぼくは、妹の救出よりも、この国の安泰を願った。
何故なら、ぼくは、喉から手が出るほど大砲が欲しかった。
そのためにはどうしても「金」が必要だ。
ぼくは、エリスを売ったわけではない。
売るつもりなど毛頭なかった――アランが、勝手なことをするまでは。
そしてまた、彼が雇った傭兵崩れの盗賊たちがぼくの妻になるはずの姫君の暗殺に失敗するまでは。
いや、これでは順番が違う。
アランは暗殺に失敗し、功を焦り、ぼくの判断を仰がず一切の相談もなく、ぼくが断固として受け入れなかった提案を一人勝手にすすめたのだ。
これを裏切りと呼ばず、何と呼べばいいのか。