夢のように、おりてくるもの』 第三部「夢の花綵(はなづな)」夢うつつ夢うつつ 補遺2
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先週も無事にちゃんと4を更新しておりまするよ
全何話か見えないまま書いてもまったくちっとも不安にならないので、わたしってばほんとだんだん度胸がついたなあ(良くも悪くもw)、みたいなw
いや、まあ、書き残したこと、書きたかったけど入れられなかったこと、ていう文字通りの「目算」があるからですけどね
そしてこの回は短いしw
そういえば、何で読んだか忘れちゃったんだけど、マーク・トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』を何年も間をあけて、たぶん5年だったか6年だったかかけて書いてるらしい(わたしがこれを読んでどれほど慰められたことか!?w)
そしてまた、本人はじぶんがこの世の歴史に残る大傑作をものしている、といった感慨はなかったのではないか、みたいなはなし
そのへんはよくわからないけど(いや、アレは傑作だと思ってたような書き出しだからw あとからつけたしたのかもしらんが なにせ「この話に動機をさぐろうとするものは起訴されるであろう、教訓を見つけようとするものは追放されるであろう、また筋をたどろうとするものは射殺されるであろう」だから カッチョエエ!)、じぶんがどういう書き手なのかていうことを考えていくと、わたしのなかには確実にひとつ、トウェインみたいな「ありのままの、ひとりでに出来上がった作品」を、つまり「創作した」、ていう形ではないものとしてそれを綴るひとでありたい、ていう欲望が強くつよく、ある
『夢のように、おりてくるもの』に関しては本当にタイトル落ち(爆笑)で、とにもかくにも「おりてくるもの」を必死で受け止める、そういうスタイルで書いてきて、ラストもだから、当初の予定、わたしの「創作」としてやりたかったことができなかったし、やろうともしなかったわけなんだけど、でも昨日の朝それが「おりて」きて、おし、アレいけるぞ! となったので落穂拾いな補遺をだらだら書いてきてよかった、という気持ちになっている
それがでも、読者様にとっては、さほど大した意味はなかったり、ていうふうなんだろうなっていう判断もあるんだけど、ねw(いやほんと、そんなもんですw ただこういう自己満足がモチベーションになるってのはあるのさ)
そんなこんなで、おったのしみに~♪