勝手に引用
摘まれなかったバラ : 『バラ物語』論争と擁護派の論旨について
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7865/2/ff005002.pdf
「王妃宛献辞からは激しい論戦を勝ち抜いた凛々しい女戦士というイメージが浮かび
あがり、それは女性を中心とする王妃側近には好ましく映じたにちがいない。まして
ピザンには文筆で暮らしを立てるという、女性としてほぼ前代未聞の切迫した欲求が
あり、そのためには多少宣伝臭がつきまとおうとも、文学的パトロンである王妃の前
で自分の活躍をよりはなばなしく飾る必要があったと思われる。一方、ティニョンヴ
ィル宛献辞は、あたかも訴訟書類ででもあるかのように冒頭に大仰な言葉づかいで擁
護派の人名・職名を列記している○つまり、これが男性社会に宛てられたもので、男性
対女性の微妙な争いにおいてあえて男から好意と援助を求めるという目的は、ピザン
自身によって十分に意識されていると考えられる。従って、この献辞(りは作為にみち
た修辞的な虚偽をも含むことが疑われてしかるべきであり、ピザンはそれまでの論調
に反して女性一般の無知を強調し、その延長線上で、自分をたけだけしくみせないた
めに、論争を「雅びやかで憎しみのこもらぬ」ものと呼び、女性らしい穏やかさを見
せかけたにちがいない。それにもかかわらず、擁護派からの攻撃がなおも意地悪く執
執こ続いてい、るように読みとれるのは、ピザンー流の修辞的効果のゆえであって、テ
ィニョンヴィルめ同情をひくためと解するのが自然であろう」
「つまり、擁護派の立場にいくぶんか同情
して言えば、反対派の道徳論と皮相的な読解という二つの圧力が、文学論争の菅のふ
くらむ微妙な瞬間を押し親してしまったことになる。近年のrバラ物語J研究が手に
した皮肉(アイロニー)という視点は、今一歩のところで放棄されてしまったのだ。」
「もとより『バラ物語』後半は独身を余儀なくされる聖職者層伝来の文学であり、それが必然的にともな
う好色な女性嘲弄は、どれほど学殖によって粉飾されようとも芝居がかり、矛盾をま
ぬかれ得ない。そのrバラ物別の百科全書的性格にいっさい眩惑されなかったジェ
ルソンの構えとピザンの自負こそが、あるいは擁護派にとっては最大の障壁であった
のだろう。
ともあれ、異端の脅しのもとでの沈黙と作品解釈の欠如という二重の不徹底のうち
に、フランス語による最初の文学論争はおわったのである。」
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ここに、文学と女性、テクハラ、作品読解について、権力とその有様、道徳と藝術等いくつもの諸相があるのだけど、
まあなんていうか、1400年代から人間ておんなじことしてるよねw