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歓びの野は死の色すのことを語る

外伝・月の石

 わたしはその顔をじっと見つめた。
 彼が、自分の出世をふいにしてもわたしとの約束を守ろうとしてくれていることがうれしかった。たとえ故郷に帰るにしても、陛下の近侍としての役目をいただけることがどのような栄誉であるか、彼は熟知しているはずだ。
 また、それを断っても自分の立場が思っている以上には悪くならないと確信できるほど、この一年で神殿や宮殿で地位を得たことにも気がついた。
 わたしは、この世の絶対者である陛下を袖にしてまでわたしに付き合ってくれようとする人間をおのれが持ちえたことが、心底恐ろしくなっていた。
 そうまでしてくれた彼に、わたしは何を返せばいいのだろう。
 いや、彼は、わたしから何かを引き出そうと思っているわけではない。
 それは、わかりすぎるくらいよく理解していた。
 しかしながら、わたしはその理解を拒絶した。
「ルネ、そなたがこの黄金宮殿で然るべき地位を得るのに手を貸さなかったわたしを恨まず、今までよく尽くしてくれた」
 彼は怪訝そうな顔でこちらを見た。
「わたしからあらためて、そなたを夏至の日の近侍に推挙しておこう」
「月の君?」
「去年、露台に立っているそなたを見たときにそう思いついたのだ。よい機会だ。わたしからの推薦であれば、陛下はもちろん、そなたが恥知らずに断りを入れた大神官などにも顔が立とう」
 わたしは呼び鈴をふり、書類の手配を命じた。
 彼はそれを、蒼い顔で見つめていた。
 わたしは書き物机へと向かい、立ち尽くしたままのルネへと顔をむけた。
「用事はすんだ。帰ってよい」
「月の君」
「他になんぞ、願い事でもあるのか?」
「私はっ」
 怒りに紅潮した頬を眺め、わたしは冷たい一瞥をくれてから、彼がまだそこに佇み何も言えずにいるのを見てとり、自分の指輪を外した。
「わたしはそなたに大層世話になった。今までの礼にこれを取らす。そなたの身分では財産になるほど高価なものではないが、わたしの標として知られている。今後、役に立つときもあるだろう」
 わずかに青みがかった乳白色の月長石の指輪をさしだすと、彼は信じられないという顔でわたしを見た。
「受け取らないのか?」
 彼の青い双眸には、自分は物乞いのように無心に来たわけでないと書いてあった。
 わたしもそれは承知していた。
 彼は相手が誰であろうとさもしい真似をしないと知っていたし、彼になら、わたしの力を貸してもいいと思ってきた。
 陛下の寵愛を競うことさえしてもいいと、そう考えながら、いざ、彼がわたしをまっすぐに見つめることが怖くなった。
 彼が示してくれるその好意が不意にわからなくなっていた。
 それに、彼はわたしに忠誠を誓っているのではなく、わたしを「友人」だと思っていた。
 わたしは、そんなものを得ることができる自分が信じられなかった。
 わたしの財力や地位を目当てにして近寄ってくるものたちのほうが、わたしには理解できる。
 彼らは恐ろしくもなんともない。
 その欲望の在り処をわかったうえで、そのように対処すればいい。
 ところが、目の前の人物がわたしに何を求めているのかがわたしには理解できず、そのことがわたしを不安にさせた。
 それが友情であろうと忠誠であろうとわたしには変わりなく恐ろしいものだった。
 たしかにわたしは彼と背中合わせで剣を構え、同じ杯を平らげ、隣り合って眠り、おそらくは同じ夢さえ見たかもしれない。
 けれどそれは永世続く夢ではなく、幻と同じ儚いものだ。
 月が満ち欠けするように、ひとのこころは変わる。
 わたしはそれを忘れることなく生きている。
 この澄んだ瞳をした少年に、わたしはそれを思い出させたかった。