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花うさぎ無計画発電所のことを語る

 おれが今からしようとしていることは、あなたの望まない振る舞いかもしれない。その可能性を思い浮かべなかったとは言わない。けれど本当に嫌ならば、あなたはきっとやめろと言ってくれるに違いないと信じてもいた。
 はじめてのとき、おれは無理やりあなたと関係をもった。嫌だやめろという声を聞かぬふりで、おれを好きなくせにとくりかえして事を進めた。そのあとも、あなたの望まない欲望を押しつけつづけた。あなたと繋がりたいと熱心にねだり、怖いと口にしたあなたを強引に、おれの内側へ誘った。女性としか寝たことのないあなたは行為を純粋におそれた。気の強いあなたが、おれのなかへ押し入るのが怖いといった。その長い指でさんざんおれを翻弄したあなたが、それはしたことがないと白状し、できないと首をふったのだ。おれは唖然とし、項垂れたあなたの頬をもちあげてくちづけながら、あなたがずっと自分の欲望のまま振る舞わずにきたのだと思い知った。
 あなたは夢使いだから、一人前になるには性体験を必要とした。師匠の愛人に誘惑されたあなたは、あなたらしい礼儀正しさと勤勉さでそれを熱心に学んだに違いない。じっさいにあなたはとても優しくて、おれにはもどかしいほどの手つきでありながらいよいよとなって追い上げるときは恐ろしいほど巧みだった。逆にいえばあなた自身は夢中になってはいなかった。それは夢使いとして色を売るのなら絶対に必要な態度だっただろう。
 だからおれはあなたに無茶をいい挑発し、その箍が外れるよう振る舞った。あなたと抱き合って、おれにだけは我慢しないでくれていると感じると嬉しくてたまらなかった。もっとおれに甘えてほしい。あなたが望むならどんな淫らで恥ずかしいことも出来るとおれは思っているが、それはおれの願望でしかない。
 つまるところ、あなたがおれのものを咥えるのを躊躇わなかったのはたぶん、それ以上は欲していなかったからにちがいない。それをわかっていて足らないと嘆き、どうしてもあなたが欲しいと希ったおれをあなたはしぶしぶ受け容れた。
 あなたにはいつも、何かしらの戸惑いがあった。おれははじめ、それをあなたが異性愛者として生きてきたせいだと考えていた。ましてそういう鍛錬まで積んで、じぶんが愛撫される側になることを受け入れがたいのかと思っていた。そして確かにそうも口にした。女のように扱うなと不満をいうあなたに、あなたのほうがよほどそうだと言い返したりしなかった。喧嘩をしたくなかったためでなく、あなたを問い詰めて無理やりこたえを迫るのはしてはいけないと戒めていた。あなたが、じぶんでこたえを出すまで待つのがおれの役割だと信じてもいた。
 守秘義務があるからあなたは依頼人とのあれこれをおれに話すことはない。だからこそ折にふれ、それがあなたと関係するのに「必要」だと伝えながら、あなたがその鍛錬でいったい何をして、何をしなかったのか問うてみた。それだけでなくふとした出来心で、あなたはそれを師匠に教わりたかったのではないかとも聞いた。
 あなたはそのときすぐにこたえを返さなかった。俯いて物思わしげに眉を寄せ、教わるも何も師匠は女のひととしか寝ないと呟いた。おれがその意味を問い質す前に、あのとおり格好がよくて名うての女蕩しで、いつも色っぽい美女ばかり愛人にしてたとわらった。それからすぐ、委員長と結婚して落ち着いてくれてよかったと付け足して、いつか女のひとに刺されるんじゃないかと思ってた、秘密だぞ、と微笑んだ。
 おれは、そのときあなたがさびしそうな顔をしたのでそれ以上は尋ねなかった。毎日のように師匠の家に押しかけたあなたと、愛人といても修行を理由に家に帰るその師が、いっしょにいるあいだ胸が閊(つか)えるような想いで互いを見つめてきた時間をおれは知っている。その原因すらも、理解していないではない。
 おれはいつだったか、酔った勢いと割り切ってあなたの師匠に尋ねようとしたことがある。色を売らないと言いきったあなたの性伎はそれにしては念入りで、男と寝るためのものではなかったにせよ尋常とは言い難い気がした。師匠は紫煙を燻らせながら、おれの問いかけを察してこたえた。稼げるからですよ、と。あの容姿なら女に疎まれることはない。夢使いの素養だけで生き抜けるほど甘くはないのはみな同じです。
 納得した訳ではなかった。だがおれは礼のかわりに肯いた。師匠は空になったグラスに視線を落とし、密かに微笑んだ。それを見逃さなかったおれに、師匠は声を落としてつづけた。魘使いでなければ己が教えてやってもよかったのかもしれないが、あいにく荷が重すぎました。それに預けてみたいと考えた相手はこの視界にもういない。いや、己はあの子をああはしたくなくて自分の愛人に誘惑させたのか、今となってはもうわかりません。ただその何もかも夢秤王の導きに相応しいものであると信じるほかはない。
 おれは何も返さずにいた。バーの止まり木に腰かけて視線が合わない事実に安堵した。いくらか動揺していたし、期するところがないでもなかった。いや、そのためにこうしてあなたの師匠の呼び出しに応じていた気もする。
 妙なことだが、あの気障な師匠とは驚くほどに話しが通じた。たぶん、あなたたちのあいだよりも。
 あなたが、寝転がったまま不思議そうな目をしておれを見ていた。
 おれはその顔を見つめ返しながらあなたの左膝をつかんだ。