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花うさぎ無計画発電所のことを語る

 翌日、教授に研究室に呼びだされた。コーヒーを目の前に置かれて面倒なはなしになると覚悟した。そういうおれの表情をきちんと読みこんで、教授は前置きもなくきりだした。
 昨夜あなたの大切なひとの依頼人からあなたと面会したいとの連絡がありました。
 おれは黙って続きを待った。
 私はその要求を撥ねつけました。ああ、あなた自身は上手くやるでしょう。私はそれを否定しません。ですが、依頼人のほうはどうでしょう。金にあかせて若く魅力的な魘使いを愛人にしてきたのに今回はそういかない。その理由があなたでは、いかにもおはなしになりすぎる。
 教授はそこで小さくわらい、色男の自覚があるのはよいことですと指摘した。冷やかしに応じないでいると教授は真顔になった。
 魘使いに執着するひとびとは少数でありながらその繋がりは強く、とても深い。あなたの情報はすでに彼らに知れ渡っていることでしょう。
 おれは、今夜あなたがその依頼人に会うと知っていた。
 教授がおれを見おろして断じた。
 あなたが心配することではありません。
 そんなことは言われないでも理解していた。これは、あなたに対するおれの侮りだ。そう非難されてしかるべき感情だ。けれど、ほんの些細なことであれ、おれのせいであなたに不都合な出来事が生じるのなら、おれは一体どうしたらいいのかわからない。おれはあなたを知りたくて、出来得ることならあなたの助けになりたいと願ってこの研究室に足を運びいれた。もちろん、おれの行動があなたのためになるとは限らないという当たり前のことくらい考えた。こうした傲慢をあなたに悟られないよう用心もした。あなたに告白する前にだって考えなかったわけではない。おれは様々なことを想像し考え尽くしたはずだ。それなのに今、おれは明らかに動揺している。
 教授がじぶんの椅子に腰かけた。その横顔をおって窓の外をみる。鉛色の雲がたちこめていた。あなたが、傘を持って出なかったと思い出す。この寒空に冷たい雨に降られるあなたを想うと胸が痛んだ。いや、あなたのことだ、折り畳み傘は持ち歩いているだろう。
 こちらへ視線をよこした教授は先ほどとはちがう声音でつぶやいた。
 ひとつ、たいして意味のないはなしをしておきましょうか。
 おれが顔を向けると教授は外を見た。はぐらかされたように感じたが、言葉はつづいた。
 こないだはああ言いましたが、あなたの夢使いというひとは何もかもほんとうはわかったうえで、ひとつの選択をしたのだと考えたほうが理に適います。
 おれは、その漠然としたものいいにすぐには肯かなかった。教授はあいかわらず窓の外を眺めながら言葉をついだ。
 かつて、雨のように香音を鳴らす魘使いがいたそうです。いっぱんに晏使いこそが、ことに午睡には慈雨のごとく甘い香音を鳴らすそうですが、魘は重いからそうはいかない。だからそれは秘技中の秘技として名のみが記されるだけですが、それがこの視界から失われたわけでもない。
 教授が何を言おうとしているのか、そのときのおれにはよくわからなかった。いや、それを記すものである自分とあなたのことを語っているのだということくらいは気がついた。けれどおれは、あなたのあがないによって齎される夢をあなた自身がけっして見ることができないように、それを知ることができなかった。
 それでなお、おれはただ、ひたすらにあなたのことを想っていた。そのあなたが、何者なのかすらわからなくなってしまったかのように、目の前にいないあなたを追い求めていた。