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花うさぎ無計画発電所のことを語る

 つぎはカシミアの黒いセーターだった。
 あなたはそれをおれに見られたくなかったらしい。クリーニング屋で他に預かっているものがあると店のひとが気を利かせてくれたせいでわかった。おれはもちろん引き取らなかった。あなたはそれを着て依頼人のところに出向くのだから。
 ため息をついてばかりいるあなたの横顔を思い浮かべる。ダブルワークの大変さもあっただろう。あなたは人並み外れて体力があるとは言い難い。けれどおれは、あなたがこんなふうに疲れているのが忙しさのためではないと知っている。あなたはむずかしい依頼を受けるのが好きだ。あなたの力を試し、もっと上を要求する依頼人のあがないをするのを愉しみにしている。
 午睡を目当てにあなたを呼び出す依頼人はたいてい高い地位にある男性だ。依頼内容は複雑かつ高度で、過去の著名な夢使いの伎を再現させることなどもある。そういう調べもついている。おれのいる研究所センターで。
 あなたはここずっとその依頼人に付きっきりだ。守秘義務があるためか、あなたはおれに依頼人の名を明かさない。ただし、どこへ行き何時に帰る予定かは伝えてくれる。宿泊場所がホテルの場合はそれも。ただし依頼人宅の場合はその最寄駅が告げられるだけだ。同じ駅名がくりかえされる日々が続き、おれは不安をおぼえはじめた。
 その依頼人は、あなたを専属にしたいのではないかと。
 ひとりの夢使いやその親族を、有力者が自身とその一族郎党のために囲うのは歴史的に見ればけっして珍しいことではない。一族の繁栄を約束する夢をおろすため、またはさまざまな夢占をさせるため――その「効能」の是非はともかく――敵を夢により呪殺するため、夢使いに土地屋敷を与えそば近くに住まわせる権力者たちは多くいた。
 それだけでなく、歴史に名を残す夢使いには権力者の夜伽相手として知られた者も少なくはない。また今も、自らそう名指す夢使いは大勢いる。
 あなたが依頼人とどういう交渉をしているのかおれにはうまく想像ができなかった。それもそのはずで、教授いわくあなたのしようとしていることはこの視界で初めての試みらしい。それをそうと知ってのことかは知りませんが、と教授はうすく微笑んだ。おれは何も返さなかった。考えることがありすぎて言葉になどならなかった。教授は小さく肩をすくめ、あなたは大変なひとと一緒になりましたねと眼鏡の奥の瞳を細めた。 
 教授は組織の会合だけでなく、発起人であるあなたの叔父の政治資金パーティーにまでおれを連れまわした。研究センターへ寄付を募るのもお役目だと言いわたし、きっちり仕事をしてこいと背を叩くことすらあった。おれは、じぶんがその手のことをうまくやれると知っている。きっとあなたより、ひとの欲望をそれと察し、その距離をはかり、躱すのは得意だ。
 あなたは先日おれを寿司屋に連れていった。あなたの叔父であるひとがおれたちふたりを招いてくれた店へ。あなたは上機嫌でいたけれど酔いがさめて呟いた。いまのじぶんにはそこまでの伎がない、と。暗がりで項垂れたあなたにおれは触れることができなかった。